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欧米の人々は、アパートを他人とシェアすることに慣れていて、学生や若い人であれば、家賃を安くするために、特に抵抗なく、ルームメートを見つけて共同生活をするのが一般的である。
オスロで賃貸物件を探す際も、
Hybel
Bofelleskap
Kollektive
などという単語があり、間借りする人やルームメートの募集も少なくない。
個人主義が浸透している欧米では、人は人と割り切ることが上手なのかもと考えたりする。
一方、日本でも随分前から「シェアハウス」というスタイルが定着してきたようだが、問題が多いのも事実のようだ。
この「シェアハウス」について、色々調べてみたが、どちらかというと、日本では失敗例の方が多い印象がある。
日本人の気質も関係しているのかな?他人に対する思いやりが度を越して、過干渉やいらぬおせっかいになったりするのかも。
実際、私も独り暮らしの経験はあるが、結婚生活が初めての他人との共同生活であったし、ほんの些細なことでもよく喧嘩をした。
そんな中で、
老人と若者が一緒に住むケースがうまく行く
という記事に目が止まった。
小さなアパートに越したいが高齢者ということで賃貸契約ができず、仕方なく都会の一軒家に住んでいる一人暮らしの老人。
一人暮らしするには、都会は家賃が高すぎて住む場所がない若い学生。
その全く世代の違う二人の共同生活が以外にもうまくいくという。
そんなことを書いた記事をいくつか読んでいて、あるエピソードを思い出した。
確か昨年だったと記憶している。
日本に帰国したときの話だ。
たまたまタクシーを利用する機会があり、その運転手さんが、
「お客さん、笑顔が素敵ですね。」
と話しかけてきた。
「おっ、いきなりのリップサービスですか!ここはチップはずまなきゃいけないのかな?」
と、少し身構えそうになった(笑)が、その運転手さん、
「こういうどんよりと曇った日は、気が沈むんですよね。」
と身の上話をし始めた。
年の頃は、60代半ばといったところか?
話り口調は、ちゃきちゃきの江戸っ子だ。
以前は、商社マンとして、中東の国々等にも住んだ経験があるとか。
その後、商社を辞め脱サラし、奥さんの実家がある東北でアワビの養殖などを営む会社を始めたそうだ。
苦労の末、従業員を何人もかかえる規模に会社は成長し、事業は順調に拡大していった。
が、しかし
2011年に関東・東北地方を襲った東日本大震災で、家族も会社も従業員もすべて失ったという。
その時、彼は出張にでかけていて東北にはいなかったらしい。
戻ってきたら、何もかも流されなくなっていた。
助かったのは自分だけ。
途方にくれて、何度も死のうかと思ったそうだ。
それを見かねた千葉県に住む妹さんが、
「東北にいても思い出に浸ってつらいだけだから、こちらにでてきたら?」
と声をかけてくれたそうだ。
ちょっと細かい話は忘れたが、捨てる神あれば拾う神あり。
以前、仕事でお世話になった知り合いが、それを知って住む家を提供してくれたらしい。
(家を提供するってどんな金持ちやねん)
おじさんのまわりには、やはり震災で両親を亡くした二人の男の子がいたらしい。
その男の子たちがおじさんになぜかとても懐いてしまい、引っ越すというおじさんに、一緒について行きたいと言ってきたそうだ。
その子たちは、当時は親戚の家に預けられていた。
勿論、妹さんや周りの人は、
「自分のことだけでも精一杯なのに、そんな子供をひきとって大丈夫なの?」
と心配したらしい。
自分は働かなくちゃいけないし、家事もできない。
だが、なんの因果か、旦那さんを同じように震災で亡くしたある初老のご婦人に出会い、住む場所を提供してくれたら、食事の用意や子供たちの世話を引き受けると言ってくれたそうだ。
そういう訳で、なんの血のつながりもない4人の新しい暮らしが始まった。
そのおじさん、この二人の存在が、自分の生きる力になっているそうだ。
今こうやって仕事ができるのも、その子たちのお陰と言っていた。
プライベートでは、同じように震災で家族をなくして生きる希望を失った人々の力になりたいと、自身が立ち直った経験を伝える語り部として各地をボランティアで回っているそうだ。
少しずつ現実を受け入れ、必死で前向きに生きようとしている姿が、痛々しくもあり、神々しくもあった。
全く世代の違う赤の他人同士が、それぞれに満たされないものがあって、それをうまくお互いに埋め合わせて幸せになろうとしている。
心なしか、タクシーを降りる時に見たおじさんの目は、まだどこか寂し気だった。
この奇妙な4人の共同生活がうまくいっていることを願いたい。
人は人によって支えられているんですよね。
今日は、長文にお付き合いいただきありがとうございました。