みなさん

『キワニスドール』って、ご存知ですか?



我が子が白血病の闘病で出会った

こんな真っ白のお人形


(画像はお借りしました)

こどもたちは
この真っ白なお人形に
お顔を描いたり
服を着せたり
髪の毛を付けたり
自分だけのお人形にしていく

その世界にひとつだけのキワニスドールは
入院生活のお供をしてくれたり
検査、処置などの説明時に登場したり
手術室まで一緒に行けちゃったり
時にはママやきょうだいの代わりになったり
その子によって色々だ

入院のたびにこの真っ白なお人形をもらい
私的にはすこし苦い思い出もあったが…

しかし
最初のキワニスドールのために
我が子と『取扱説明書』を作ったことがあり
それを
キワニスドールの活動をしている団体の
会報に載せたいというお話しが
当時あった

病室でやったことが
形になるのが嬉しくて
ぜひ、とお願いした


初発治療中のことだから
4年前になる



私がブログを始めたのは
我が子が白血病を再発し
骨髄移植を乗り越えた後
薬剤性の心筋症を発症した時

白血病の初発時の記録はできていない

良い機会なので初発治療時のことも
書き残したい










「みかんちゃん」と名付けられた
我が子のキワニスドールは
寝る時も起きてる時もいつも一緒
骨髄検査や髄注検査の時ももちろん一緒

ベッドの上で食事をとっていた我が子に
ご飯をこぼされることも時々あった


私がよく覚えているのは
エンドキサンという抗がん剤を
初めて入れた時

点滴を初めてすぐ


 「頭が痛い!!

  …痛い!痛い!!」


我慢強くて痛さを口に出さない我が子が
頭を抱えてうずくまった

1時間投与するエンドキサン

ナースコールでどうすれば良いか訴えても
 あまりにひどかったら痛み止めをするが
 点滴が終われば落ち着くかもしれない
と、お得意の『様子をみましょう』を言われ
我が子をただただ、見守るしかなかった


親の無力さを痛感した


何もできることがなくて
引き出しにあった紐で
みかんちゃんと点滴棒をつなぎ

「Sちゃん、
 みかんちゃんもがんばってる
 一緒にいるよ」

我が子と同じ体制にして
1時間ひたすら
点滴のひとしずくひとしずくを
無事に終わりますように…と
眺めていた





初発治療後
退院できた時に
妹にボロボロにされてしまい
今は残っていないみかんちゃんだが
取扱説明書は、きっとどこかに、あるはず…

そもそも、なぜこの話が出てきたかというと
我が子が居た大学病院に
キワニスドールを提供してくれている方
(=当時、説明書を会報に載せたいとおっしゃっていた方)
から、こんなお話しをいただいたのだ

 今度、キワニスドールの団体の
 全国大会的なものがあり
 そこで、私が発表することになりました
 「あの時に会報に載った男の子の話しも
  してくれないか」
 と、申し出があったのですが
 お母さんはどのようにお考えですか…?

実は
今参加しているホスピス活動の代表から
この方にお会いしたい、と打診を受けて
連絡した次第

式以来の連絡を差し上げると
我が子をいたく可愛がってくださっていた
その方は
「Sちゃんがお空にいってしまって
 本当に辛くて
 Sちゃんのお話はとても無理だと
 キワニスクラブにお断りしたんです」
とおっしゃっていた

 だからこのタイミングで
 お母さんから連絡をいただいて
 Sちゃんからのメッセージなんじゃないかと

何度も私に連絡をしようとしてくれたことを
お聞きした


私は4年前の感覚が蘇ってきて
 我が子の名前と活動が形に残るなら
 ぜひ
と、お願いをした


そのイベント
キワニスドールフェスティバルが
今年初、リモートで開催されたのだ



長くなってしまったし
昨日のグダグダの月毎日の後で
闘病中の写真を探し出すという
荒業をしてしまったため


発表内容については
…つづく
にさせてください笑い泣き



寝ないと…チーン