元の小学校の担任の先生が、会いに来てくれた。
久しぶりなので、我が子は緊張気味。
「それっていい緊張だよね、
楽しみが混じった。」
と言うと、ホッとした顔を見せる。

移植後の5月。先生には、
2学期からは戻れると思います。
とご報告した。
そのたった2週間後、酷い動悸で再入院となった。アドリアマイシン心筋症、と言われた。
1ヶ月は何も考えられず、朝から顔を洗えない、コンタクトを付ける気力もない生活をしてたので、先生から連絡をもらった時に気づいた。
…ハッ!学校に連絡してなかった…

しかし、心配ご無用。
何も連絡のない母ちゃんの代わりに、
院内学級の担任の先生が、再入院となった事は伝えてくれていた。
先生同士でやりとりしてくれていたのだ。

一定期間以上の入院が必要な子は、元の学校から院内学校に転校となる。
転校、なので、完全に席は無くなるのだ。
白血病と告知され、地獄のどん底にいる時に学校や市役所に行き手続きをし、
ある日教育委員会から一枚の紙が届く。
この機械的な文面が実に辛い。
元の学校からバツんっと切り離された感満載なのだ。

当初は転校させられて、と感じていたが、
院内学級の先生方との出会いは、
我が子にとってかけがえのないものになった。
なので今は、
「Sちゃんは担任の先生が2人も居て、
メチャ得やなぁ」
と心から思う。

先生が来るのをドキドキしながら待ち、
我が子は自分で
「デイルームまで会いに行く」
と言った。
先生は、病室を出て元気そうな我が子に驚いていた。
面と向かって話す、ゆっくりとした時間。
こんなに話していて大丈夫ですか?と気遣ってもらったが、まだ大丈夫、と結構な時間お話しできた。
クラスメイトからのお手紙をもらい、病室に戻って笑顔いっぱいで読んだ。

「そうだ、今日新月だったんだ」

突然私が言うと、

「じゃあお願いごと書く!
紙とペンをちょうだい!」

我が子はスラスラお願いごとを書いた。


ひとひねりしてるつもりは全くないと思うんだけど…
吹き出してしまった。




夜、プレバトを見ている時に、同じ闘病仲間のママさんが写真を送ってきてくれた。
子供とお散歩してたら夕日がキレイで、と。
(※冒頭写真)
一緒に戦ってきた親子がこんな素敵な時間を過ごせている事が嬉しい。

写真を我が子に見せると、

「キレイ…、
あーボクも俳句作りたくなってきた!
紙とペンちょうだい!」

テレビではちょうど夏井いつき先生の俳句コーナーをやっていた。
我が子もいっちょまえに頭をかいたり、外を眺めたり…

「できたー!!

見て見て、お母さん、
…いくよー…!」

ひっくり返された紙にはこう書いてあった。








お母さんこそ。
毎日君につつまれているよ。

こんな素敵な子のお母さんにしてくれて、
ありがとう。