目が悪くなったのは高校生くらいからだったと思う。眼鏡を作ると最初はよく見えるが少し経つと見えにくくなって、レンズを作り替える。それを何度かくり返しているうちち、どんどん近視も乱視も進行した。どうも遠くまでくっきり見えすぎることが、私の脳だか意識だかは好きではなかったのだと思う。わずかに見えにくい程度のままが良かったのだが、気づいたときには、かなり深い近眼になっていた。
 眼鏡のレンズを横から覗くと、周囲が分厚く眼鏡の枠の外にはみ出していて、よく人にからかわれた。問題は、度数が進んだレンズで見ると、世界が萎んで見えることだった。レンズの周囲はぐっと絞られ、レンズの外に見える世界の輪郭がかなりずれている。これは不快だった。が、どうしようもない。
 やがて、遠近両用レンズを使うようになったが、目に見える世界の歪みは慣れても気持ちが良くはならない。
 しかし、高齢者になると、体中の細胞の活動が鈍くなって遅くなるせいかどうか、視力は悪いまま、ほぼほぼのところで安定した。というよりも、視力の衰えは加齢のせいなので、「ま、見えて分かるから問題ない」というところで落ち着いていた。
 それよりも問題なのは、かつては夜寝る前のベッドの中で、スマホを右目で見ていたのだが、ある時、それが左目にチェッジしていた。同時に右目の視力・視野・色見に違和感を覚えだした。これが緑内障の始まりだった。その時眼科医を訪ねていれば、そこで症状は止まったはずなのだが、勝手に白内障自己診断をして放置したために、私は深刻な緑内障に陥ってしまったわけだ、右目だが。
 しかし漸く、74歳にもなって、やっと右目と左目の緑内障・白内障の手術を終えて、何とか悪いものは悪いまま、視力に希望が見えてきた。

 



 さて、私の手術は9月5日に右目、11月14日に左目と、間に2か月ほど空いていて、その経緯がちょっとたいへんだったので、その問題と対処法を備忘録とする。

 私の目の症状は、右目は重度の緑内障で、白内障は軽い。急に視力が減退したことを観た眼科医は、急遽右目の手術を行った。繊維柱帯切開術という、ここでは360度全方位を切開して微細な眼圧減退の紐を埋め込むという、新しい術式と聞いた(理解が間違えているかもしれない)。10分ほどで終わる白内障の手術のそのあとに、頭を左に30度ほぼ傾いたまま行われたその手術は、正直身体が硬直するくらいに緊張した。たぶん40分以上かかった長い手術だった。
 しかしお蔭で、いまは眼圧がかなり低く安定している。

 この手術は、目の中の組織細胞がベロリと開けられてしまうものだったので、回復までは、慎重な対応が必要だった。手術当日は、右目が眼帯で塞がれた。翌朝自分で眼帯を取り外す。目に見えるものは、真っ白な霧の中。これが出血している状態なのかもしれない。この濃霧が、一日かけてすこしずつ薄まり、晴れて行った。すると、緑内障で視野の大半を失った目だが、裸眼で新聞の文字が読めた。元々は、目の前10センチほどにもってこないとピントが合わなかったのだから、文字を判読することがむずかしいほどの悪い目なのだが、裸眼で本や新聞を見る位置にピントが合ったことには、喜びと同時に驚いた。中軽度の近眼の人工レンズが処方されたわけだ。

 



 さて、ここから眼鏡について、書く。
 だんだん手術で視力が安定してきた右目は、小さな明朝体の文字の判別がしにくいほどに視力が悪いが、少しでも見える環境を作りたい。人間は両目で見るが、見えるほうの視力を優先する脳の機能があるはずだ。物や文字を正確に認識しようとする視力と、周囲や色見、空間を認識する視野が、左目と右目では、それぞれ活動をしている。たとえば片目で文字の認識ができなければ、脳の見えない目の視力をオフにするだろう。左右の目は、左右脳に別々に対応している。文字などについては、左右の目の視力を総動員して認識するように仕向けないと、脳の機能が衰える。そう考えると、せっかく中軽度の視力を取り戻した右目の視力を活性化させたい。
 
 これまでの眼鏡をかけると、ほとんど左目優先で生活してきた私だが、右の見え方は、手術後の目のレンズはまったく合わず、べちゃっとしていて、これでは右目の視力を担当する左脳は、判別する作用をオフにするだろう。それは、まずい。
 眼鏡のレンズを、適正にしよう。

 眼鏡店に言って、正直に話したら、医者の処方箋を求められた。が、眼科医は、視力が安定する1か月先にならないと、出してくれないと言われていたので、強引に眼鏡店に依頼をして、視力検査をして、いつも使っている眼鏡の右のレンズだけ入れ換えてもらった。
 ただし、そのとき眼鏡店から、このレンズで右目の視力はちょうどよくなるかもしれないが、両目で見ると、左右レンズの度数が著しく違うので、見たモノが左右で大きくずれたりして、「大変ですよ」と釘をさされた。
 確かに、いわれたほどではないしても、いつも見えていた左目はそのままに、ほぼほぼ見えるようになった右目の映像がぐんにゃりという感じでずれて見える。ぐっちゃりべったりという感じで、目眩がしそうだが、右目は、かなり見えるようになった。当分はこれで慣れるしかない。
 少し使っているうちに、だんだんと脳が慣れてきたのか、耐えられるようになった。とはいえ、違いは見えたものの位置だけではなく、大きさも違っている。
 左目は従来どおりだが、右目は近視の度数が軽いので、位置は手前にしかも大きめに見える。人物を見ると、左目ではかっちり見えるが、その少し手前に緑内障で視力が弱まった像が少し大きく重なって見える。人物がオーラを放っているように見えるのだ。
 おそらく、ちゃんと判別しようとする場合は、脳は左目の視力を優先し、右目の視力をオフにしていると感じた。
 この状態で毎日生活し、仕事をするのはストレスがあり、辛かったので、眼科医にすぐに相談すると、この問題を見越していた眼科医は、すぐに左目の手術をしてくれた。

 左目は、軽度の緑内障と白内障だった。10分ほどの白内障の手術後、今度は頭を右に30度傾けた状態で、ステンド挿入の緑内障手術。前の手術の記憶があったので、覚悟をして臨んだが、10分もかからないところで終わった。
 因みにこの日は、数人以上の手術患者がいて、私は最初だったが、他のほとんどの手術は、私と同じ、ステンド挿入と白内障手術だった。
 さて、大きな問題はここから始まる。


 ステンド挿入は、やはり目に傷をつけるので、当日は左目が眼帯で塞がれた。
 私は、右目しか使えない。その使える右目は、重傷な緑内障のため、視力は弱く、視野はまばらで狭い。手術当日は、この見えない右目で生活をした。歩き回る程度のことは問題ない。道路を歩いても、十分慎重に歩けば問題ない。困ったのは、PC画面やスマホである。目の先30センチのところなら、裸眼で小さな文字の判別はできるのだが、正直かなり大変であった。もっと困ったのは、PCのマウスポイントが把握できない。つまり、PCは操作不能だった。それほど細かいものの判別ができない目になってしまったのだ。それではほとんど役に立たないかというと、左目だけで見ているより右目も使ったほうが、周囲の状態等々の把握がずっとしやすくなる。小さな、細かな判別は致命的にできないが、大きな空間把握のような視力はまだまだ十分にある。医者からすれば、失明同然だが、私にとっても、大切な生活をささえる光の一部なのである。
 手術の翌朝、左目の眼帯を外した。すると、きれいで明るい世界がくっきりと見えた。手術はうまくいき、前の右目のときのしんどい緑内障の手術後のときとは違い、すぐに生活できるレベルの、右目と近視の度数がほぼ同じ、中軽度の近視になって、両目で本や新聞が、裸眼で読めるようになったのである。
 ここから約1週間が問題だ。
 前の眼鏡は、右だけレンズを合わせて入れ換えたが、左レンズは重度の近視のまま。眼鏡をかけてみると、左目優先の視力なので、左は焦点がぐっしゃぐしゃでべったり。そこに右目のピントがあった視力が弱い目の画像が重なる。この状況から、右目もそこそこ視力として機能していることがわかった。かといっても、ディテール把握ができないので、これでは生活できない。左目の眼鏡のレンズは、医者の処方箋がないと入れ換えることができない。
 あらかじめ、この問題を予測して、担当の眼科医には、できるだけ早く眼鏡処方箋を出してもらえるように依頼しておいた。それは、手術後1週間先の16時であった。
 つまり、私のような、片目が不自由な場合で利き目を手術し、目のレンズの度数が大きく変化してしまった場合は、使える眼鏡がない状態が数日つづく。
 これでは仕事ができない。
 このことは、左目を手術することが決まってから、十分に想定してきた。そこで、何かつなぎで使える眼鏡はないものか、前からずっと捜していたのである。

 あった! 
 プレスビーという会社から、視力補正用眼鏡が販売されていた。このことは、前のブログで紹介した。この補正用眼鏡を買っておいたので、手術翌日から使用した。
 このメガネは、中軽度の近視から遠視までの視力を、左右別々に調整できるスグレモノだった。二枚の凸凹レンズの重ねをずらしてピント調整をするため、かなた複雑な構造であり、透過度はよいとは言えないが、実用にはなる。PCのマウスポインタは探せるし、もちろん文字が読める。これでなんとか、仕事はできた。ただし、視野はというと、目の中心の周囲に限られ、外周のあたりは曖昧にしか見えない。つまり、車の運転では使えない。
 が、何とか数日を、視力補正眼鏡のお蔭で仕事を休まずに生活できた。そしてやっと眼科医から左目の処方箋が出たのは、11月の20日夕方だった。そのまま、眼鏡店に直行したことは言うまでもない。
 次の写真は、眼科医においての眼鏡合わせのテスト時のもの。おちゃらけて遊んでいるわけではない(私はいつもまじめである)。



 眼鏡店では、固定焦点だが、実用になるPC用と遠くまで見えるドライブ・運動用の二種類の眼鏡を新調し、ひとまず、私の目の問題は解決した。
 本や新聞は裸眼、室内の生活や仕事はPC用眼鏡、外出や運動はドライブ用眼鏡で当分は過ごすことになる。
 できあがった眼鏡をかけて、PC仕事も車の運転も、晴れて快適にバリッと明るく見えるようになった。

 これまで使った眼鏡と、新調した眼鏡を並べて写真に撮った。

 


 左上:ニコンレンズとトヨタの特殊スチール製の当時で3万円を越える高い遠近両用、20年以上も前のものである。さすがにレンズはよく見えるが、目がだんだん合わなくなった。もっぱら、車の運転で使ってきたが、今回はまったく使用できなくなった。
 左上から2つ目:数年前に、東京スターメガネで作った、軽い運動用単焦点。数千円の安物だが、ひたすらジムでのダンスとトレーニング、あるいは登山で使ったので、いつもラフで汗みどろの状態だった。この右目レンズだけ、この前の手術後の目に合わせてレンズを入れ換えてもらい、ジムで運動用に1か月すこし使用。運動している時は見えるものがいつも揺れ動いているので、ガチャ目の問題は、感じなかった。なお、レンズだけの入れ替えでは、2000円だった。
 左上から3つ目:眼鏡市場で数年前に作った中近両用レンズ。ほとんど生活で便利に使用してきた万能メガネだった。この右レンズだけ、2000円で、前の右目の手術後に合うレンズで交換してもらった。しかし、古いド近眼の左中近レンズと、右の中軽度近視レンズとで見た状態は、目を移すたびに像がちらついて不安定で、ガチャ目の見え方の問題でとても不快な思いを昨日まで経験してきた。が、とうとうお別れである。ガチャ目だったが、見えたことは大きな喜びである。ありがとう。

 そして左下の二つの眼鏡:これが昨日、眼鏡処方箋が出た直後に直行した東京スターメガネで作成したものである。下がPC用で6000円くらい。上がドライブ用で1万円くらい。2本買うと1本半額で、トータルで14000くらいだった。

 さらに自分の備忘録として、眼鏡の説明を続ける。
 右上は、ずうっと前に百円ショップで買った小さな穴が空いているだけの眼鏡なのだが、小さな穴が絞りとなって、近視の裸眼でも焦点が絞られて結構見える。テレビなんかは、これで裸眼では見えないテロップの文字がくっきり見える。が、視野は大幅に制限されるので、目を休めたり、気分を変えたいときなどに、ときどき使う。生活ではちょっと使いづらいが、一つあると、おもしろい。百均だし……。
 右上から2つ目と3つ目は、目の手術後1週間ほど常時使うことが指導されている保護メガネだ。それぞれ2000円以下程度。上は水中メガネのように後の紐を頭にまいて固定する。これは就寝中に使用。その下の大きな保護眼鏡は、眼鏡の上に重ねてカバーできる保護眼鏡である。花粉も予防してくれるだろうが、やはり樹脂の透明度は高くはなく、見え方は精度が落ちる。
 そしていよいよ眼鏡の説明の最後となるが、右下の眼鏡。これが、プレスビーの視力補正眼鏡である。楽天やアマゾンで何種類もあるが、レンズの構造はほぼいっしょなので、一番安い楽天の4500円くらいのものを買っておいて、左目の手術後から1週間くらい使用した。何度も書くが、見え方の透明度や精度は甘いが、両目ともに、必要な距離のものにピントを自在に合わせることができる。視野はきわめて限定的で狭いが、PC仕事では、十分実用レベルで使用できた。しかし、視野が狭いので、動き回るような使い方には向かない。レンズの周囲の歪み感はかなりある。とはいえ、処方箋がなく眼鏡が作れなかった数日、私はこの補正眼鏡で大助かりした。たった1週間にも満たないほどだったが、ありがとう。