民衆こそ王者ー池田大作とその時代 核兵器ー絶対悪との闘い(1) 8 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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 「あんたらしか言えんたいね」 ②


 吉岡輝彦は現在、長崎創価学会の平和委員会委員長を務めている。両親ともに被爆者であり、『ナガサキを語り継ぐ』では母の体験を聞き書きした。

「私が創価大学に入学した年、ちょうど大学図書館の起工式があり、池田先生が出席されたのですが、その場に学生代表として招待されてビックリしました。広島出身の学生もいました。先輩から『高校生の時、反戦出版に携わったからだよ』と教えてもらいました」。


 翌年、滝山寮の寮生たちと池田が記念撮影した際、「写真はご両親に送ってあげなさい」と託されたことも忘れがたいと語る。母の加代は内臓障害に苦しみ、幼い輝彦の小児喘息を治したい一心で学会に入った。

夫の泰彦とともに草創期の浦上一帯を弘教に歩いた。

「その写真を送ったころは、ちょうど池田先生の会長辞任に至る『第一次宗門事件』の渦中でした。写真は両親にとって何よりの励ましになりました」(吉岡輝彦)。


 長崎青年部は5年かけて6冊の反戦出版を世に出した。1冊目の『ピース・フロム・ナガサキ』では断ったが

3冊目の『ナガサキを語り継ぐ』で「あんたらしか言えんたいね」と証言した人もいた。「取材者リストは、本に載った方々の三倍ほどの人数でした」と吉岡は振り返る。いったん証言を引き受けたものの、自宅まで来た高校生たちに「やっぱり覚悟がつかん」と頭を下げて断る人もいた。 「家族にも言っていないことを文章で残すわけですから。無理もありませんでした」  反戦出版は何よりも、証言者一人ひとりの「自分との対話」だった。