民衆こそ王者ー池田大作とその時代 幸福の綴──「いくさやならんどー」(2) 6 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  民間交流が一番大事 ②


 日本の敗戦後、沖縄はアメリカの軍政下にあり、日本国憲法が適用されなかった。「ひめゆり学徒隊の引率教師だった仲宗根政善先生から、密貿易の船で那覇に運び込まれた日本国憲法のコピーを見せていただいた時の感動は忘れられません」と大田は語る。「戦争の放棄、基本的人権、国民主権、・・・・・それまで聞いたこともない言葉を、沖縄戦を生き残った学友たちと奪い合うように書き写しました」。

 沖縄創価学会が取り組んできた反戦出版や「沖縄戦の絵」「沖縄戦と住民」「女たちの太平洋戦争」などの展示運動に全面的に協力してきた。最も印象に残っている行事は1983年(昭和58年)、沖縄市陸上競技場で行われた「雨の文化祭」だという。「文化祭が終わった後、池田先生は『平和だからこそ、こうした文化祭もできます』と言われました。まったくその通りです」。


 他分野にわたって活躍し続けてきた大田だが「鉄血勤皇隊の生き残りとして、常に『今、生きている意味』を考えざるを得なかった」と語る。「その意味でも池田先生の行動はたえずフォローしてきました。私は周恩来を中国の抜きん出たリーダーとして尊敬しています。池田先生は昭和49年、その周恩来と話し合うことによって中国と非常に深い友好関係を結ばれた。あの素晴らしい民間外交は、若いころの僕に相当大きな影響を与えました」。

 また、池田が訴え続ける「師弟」に学会の強さを見出す。「恩師である戸田城聖のことを非常に大事にしていますね。聖教新聞でも戸田先生のことを常に書き続けておられる。とても大切なことです。今の日本社会には、そうした『人間的な生き方の問題』を大事にしない空気があると感じます」「池田先生が創立された創価大学を卒業した沖縄在住者は600人を超えました。彼らが連帯して活躍すれば、沖縄は必ず明るく、いい方向に変わります」。


 今も朝5時に出勤し、机に向かう大田。「やるべき仕事がたくさんあり、まったく時間が足りない」と笑う。「沖縄と縁の深い福州(福建省)でも、北京大学でも、上海でも、どの都市を訪れても、日中友好に努力された池田先生はありがたい存在だと感じてきました。今、沖縄の我々が必要としているのは『日本と中国の関係をこれ以上悪くしない』ことです。国と国が喧嘩していても、そんな時こそ民間の絆を断ち切ってはいけない。創価学会の皆さんは池田先生が築かれた日中友好の関係をたえず維持してほしい」。そして「民間交流が、一番大事なんです」と念を押した。