「その微笑みをなくさないように」 ②
翌日、アリシアのもとに学会本部から連絡が来た。
「聖教新聞社まで来られますかという電話でした。母と一緒に向かうと、ロビーで池田先生が出迎えてくださったんです」。
「待ってたよ」。そう言って池田は、驚く母娘を招き入れた。「私はしばらく日本で働こうと思っていること、アルゼンチンのSGIメンバーのために役立ちたいと思っていることを先生に伝えました」(アリシア)。池田は「立派だ」と喜び、同席していた吉田貴美郎に「先輩として彼女を守ってね。なんでも相談を聞いてあげて」と託した。
当時(1974年)、海外から池田宛てに届く報告や手紙が増え続け、スペイン語の通訳は実質的に吉田が一人で対応していた。アリシアはそれらの翻訳や、来日メンバーの受け入れを手伝いながら日本語学校に通い、猛勉強した。通訳としても腕を上げ、池田のメキシコ指導などにも同行するようになった。
ある年の夏休み、アリシアは一人で沖縄の那覇に向かった。
「本当の父が生きているのか知りたかったです。父は生きていました。那覇の親戚に頼んで、父の住む島に電話しました」。父は「お前を忘れたことはない」と言ってくれた。「でも会うことはできない」──再会を拒まれた。
しばらくして、沖縄での出来事を池田に伝える機会があった。「先生から『大丈夫だ。私が見守っているじゃないか』と言われ、まるで父からの励ましのようで、その真心がうれしかったです」。
アリシアは今、家族とブエノスアイレスに住んでいる。池田から薫陶をを受けた二十代の頃、「どんなことがあっても、あなたの微笑みで絶対にうまくいくよ。その微笑みをなくさないように」と励まされたことが、今も支えになっていると語る。
「創価学会に入る前は、私たちのもとを去った父のことが大嫌いでした。でも今は、朝晩の勤行の最後に、いつも父への感謝の念がわきます。父のおかげで私は信心し、人生の師に会えたのですから」
数年前、その父が亡くなった。アリシアは父が後半生を過ごした島を初めて訪れた。「父は沖縄で新しい家庭をつくっていましたが、弔問に行ってびっくりしました。父の娘さんが案内してくれたのですが、彼女も学会員だったんですよ」。そう言ってアリシアは微笑んだ。