「18年分の空白を埋めさせて頂く」 ③
両親はサンタカリーナ州のカッサドールという町で、リンゴや桃を作っていました」。娘の赤澤清美が語る。「はじめはひどい荒れ地でした。大人が6,7人手をつないでやっと一周できるほど太い木を、1本ずつ切って開墾しました」。
リンゴの栽培は困難を極めた。三男のキヨタカは「鳥や野ウサギに食われたり、霜やヒョウのせいで全滅したりで、苗木を植えてから初めて収穫するまでに5年もかかりました」と振り返る。
この日、奥山夫妻は池田に会えるとは思っていなかった。
「あのブラジル訪問では500人を超える親善交流団も来られました。母がお世話になった婦人部の先輩もおられました」(赤澤清美)。老夫妻は、再会した先輩に「ようやくここまで育ちました」とリンゴを渡し、池田への感謝を語った。
何分も経たないうちに、ロビーで待っている奥山夫妻のもとへ池田から「ありがたいね。お題目を唱えました」と伝言が届いた。さらにその伝言を追いかけるように、池田の口述を書き留めた便箋が届いた。
「今朝は早くから、わざわざおたずね戴き、本当にありがとうございました。また御苦心のたまものの”おりんご”を箱一杯戴きました。今、美しい赤い色のリンゴを目の前にして、遠い旅のつかれも一ぺんに吹き飛んだ様なうれしさです。真心のプレゼントをブラジリアまでもって行きます・・・・・」。
便箋はもう一枚あった。「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞人の振舞にて候いけるぞ」という一文を含む日蓮の遺文が、丁寧に書き写されていた。「仏」とは、「人」としての振る舞いを示すためにこの世に生まれた───創価学会員としての生き方を示す一節である。あまりに素早い池田の対応に、奥山夫妻は言葉を失った。
しばらくして池田がロビーを通った。奥山たちを見つけた。「本当によく来られた。ありがとう」。節くれ立った清敏とサナエの両手を、池田は自分の両手で包んだ。「いつまでも長生きしてください。幸せな人生を送ってください」。そう言い残し、大統領の待つブラジリアに向かった。