民衆こそ王者ー池田大作とその時代 先駆者たち 中南米篇(1) 3 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  「支部といってもブラジルの半分」 ②


 1カ月の船旅を経て、ベレンというアマゾン河口の都市に着いた。悠々と流れる茶褐色の海のようなアマゾンを初めて目にして、呆気にとられた。さらに支流のアカラ川を250キロ南下。12時間ほど船で下ると、ようやく日本人移住地のトメアスに着いた。

 両親に連れられ、3歳で海を渡った中尾吉雅は「薄い板で作った、震度1でも壊れそうな家でしたよ」と笑う。夫婦はビメンタ(黒胡椒)の栽培に打ち込んだ。まず密林を焼き、大木の根を引き抜き、土地を耕すとことから始まった。ビメンタは、人間の背よりも少し高い柱を立て、苗を植えると、その柱を登って育つ。第二次世界大戦後、日本による甚大な戦禍をこうむったインドネシアなどが、食糧自給のためにビメンタ栽培を稲作に切り替えた。その影響でビメンタの価格は高騰し、「黒いダイヤ」と呼ばれた。

 「最初の1年間で2000本植えました。収穫が始まるまでの3年間は本当に苦しかった」と喜多子は振り返る。中尾が育てているビメンタだけ、緑の葉が急に黄ばんだこともあった。伝染病だった。周囲から「信心をしているくせに」と陰口を叩かれた。幸い3カ月で治った。

 ビメンタ栽培と同時並行で弘教に励んだ。サンパウロやリオデジャネイロなどの大都市では学会員が増えていたが、サンパウロから約300キロも離れたアマゾンには、まだまだ人のつながりはなかった。

 「私と同じ南無妙法蓮華経を唱えている人を知らないか」。ある日、いつも村を回っている豆腐屋に尋ねた。「『いますよ』と言うんです。そして、二軒の家を教えてくれた。50キロ先にあるというので腰弁当で、バイクに乗って訪ねました」(久侍の手記)。そのうちの一人は、戸田城聖(創価学会第二代会長)の時代に日本で信心を始めて、アマゾンに移住した老人だった。「この信心はすごいぞ」と近所の人たちに対話を重ねていた。

 「老人の家に一泊して、次の日もう一軒の人を訪ねた。玄関を入ったとたん、池田会長の写真が目に入ってきた」どんな地であろうと、人間のいるところには必ず弘教の旗を立てる───すでに点在している先駆者たちと出会い、胸を熱くした。

 「1年目にはトメアス在住の6人の学会員が集まって、アマゾンで初めての座談会を開きました」(中尾喜多子)