かつて「舞楽而留(楽しく舞い留まる国)」と謳われ、大きな夢を抱いて海を渡った日本人たちが厳しい現実に直面した天地、ブラジル。
”その苦悩の歴史を忘れてはいけない”と語る池田は、1960年、創価学会会長として初の海外訪問で同国へ。
言葉、風習など文化の壁や、異なる環境に耐え、信仰を根本に生き抜く先駆の
友を励ましていく。
「ブラジルは広大ですよ。蛍まで日本の蛍よりも大きく感じますよ」。そう言って中尾喜多子は微笑んだ。
「55ccのバイクで土の道を走るんです。風の日は土埃にまみれて、雨の日は泥んこになって。幼い長男を連れて折伏に行った帰り道、ライトが壊れて家までバイクを押して歩きました。街灯がなくて真っ暗闇ですから。あの夜、ジャングルを飛んでいた蛍の光は忘れられません。