民衆こそ王者ー池田大作とその時代 「白樺」──生命を護る者(4) 11 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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 「永遠に お元気で」 ①

 医師の大谷育夫が、創価大学で行われた集いに参加した時のことである。(1981年5月三日)。
「大学構内で、思いがけず池田先生とお会いしました」。池田は大谷を懇談会に誘った。気さくに声をかける池田に、大谷はここ数日、思いつめていたことを話した。
 「悪性リンパ腫を患っていたGさんという40代の女性のことが気になっていました。知り合いの学会員さんで、池田先生を慕い続けている人でした」
 抗がん剤を投与し、一度はがん細胞が消えた。しかし半年後に再発。肺、腹膜、腸に転移していた。「もう、医師が何をやっても効果はないのだろうか」。大谷は「死の淵に立つ彼女に、何と言ってあげればいいのか言葉が見つかりません」と胸の内を告げた。「先生は、じっと聴いてくださいました」。
 池田は、そばにあった写真集『ある日ある時 第二集』を手に取った。完成したばかりのその写真集にペンを走らせ、大谷に託した。
 大谷が地元に戻ったのは夜の9時過ぎだった。「gさん、池田先生があなたに揮毫を書いてくださったよ」。写真集を手渡した。
「Gさんは表紙を開き、しばらく見つめておられました」。本の見返しには、池田の勢いのある筆致でこう綴られていた。

 永遠に お元気で

 Gさんは大谷に言った。「わかりました。もう一度元気になって、池田先生にお礼を申し上げに行きます」「もうすぐ先生が海外歴訪に出発されると聞きました。帰国される時、元気になって成田空港にご挨拶に行きます」。
 大谷は「その時点でGさんは、あと1週間生きていられるかどうかという状態でした」と振り返る。6日後の5月9日、池田は海外歴訪に発った。「Gさんの症状は一進一退を繰り返しました」。春が過ぎ暑い夏が訪れようとしていた。
 「7月8日、Gさんは眠るように逝かれました。亡くなった時間は、ちょうど先生が2か月の海外歴訪を終えて、成田空港に到着された時間でした。Gさんは、たしかに池田先生が帰国されるまで寿命を延ばされ、先生との約束を果たされたのです」92歳の大谷は、頬に伝う涙をぬぐいながら語った。