「諦めという言葉は私の辞書にはない」
「キリストは、ユダというひとりの人によってうらぎられました。けれども、私の主張はあらゆる人によってうらぎられてきました──つぶされ、たたかれ、すてられてきました」。
日本、アメリカ、フランス、イタリア合同の青年研修会(1986年、東京)で池田は、周囲の無理解と闘った、このナイチンゲールの言葉に触れている。
さらに「彼女の人生観の一つの真髄といえるかもしれない」という手紙の一節を紹介した。「聖教新聞」に6回にわたって連載された「ナイチンゲールを語る」でも再び触れている。
それは、クリミア戦争の渦中、ナイチンゲールが本国の支援者に充てた手紙である。
「ここ(=戦地)における真の屈辱、真の辛苦ともいうべきは、紳士でもなければ教養人でもなく、また実業家でさえなく、ましてや思いやりもなく、ただただ責任回避と保身しか念頭にないような人間たちを相手に、何とか仕事を進めて行かねばならぬというところになるのです」
権限もなく威張り、自らの発言に責任を持たない医師や軍人、政治家たちに囲まれながら、看護をめぐる無知と偏見を打ち破り続けたナイチンゲールならではの言葉である。
池田はこの怒りの手紙を読み上げ、「私にはよくわかるし、いい言葉であると思う」と語った。
次のような手紙も紹介した。
「ここにいる役人たちの中に、できれば私をジャンヌ・ダルクのように焼き殺してやりたいと願わない者はひとりもいないでしょう。しかし国民が私の見方であるために、陸軍省も私を負いだせないということを、彼らもよく承知している──これが私の置かれた立場です」。
「諦めなどと言う言葉は私の辞書にはない」、「演劇の合唱隊みたいに、2分おき『進め、進め』と大声で歌いながら一歩も進めないような人間にだけはならないようにしようではありませんか」・・・・・血のにじむような「闘う人のことば」を、池田は優れた人間論、リーダー論として、世界各地の青年と共有していった。
それは、とりもなおさず、看護に携わる白樺の友の苦労と努力を、心から包み込んでいこうという池田の一念の発露でもあった。