民衆こそ王者ー池田大作とその時代 「地域の灯台」──農漁業に生きる(2)13 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  危機をチャンスに変えたきっかけ ①


 滋賀の宮西民雄(地区部長)は「あの勤行会の頃が一番苦しく、どん底でした」と振り返る。

「『地域の灯台たれ』という先生の言葉がなかったら、今日の自分はありません」。

 

 戦後、国が進める農業近代化のモデル事業として、琵琶湖最大の内湖である大中の湖が干拓された。干拓地にはきれいに区画された水田やコンクリートの住宅が整然と並んだ。

 

 1966年(昭和41年)、宮西の両親は新天地に希望を抱き、216件の一軒として大中の湖の干拓地に入植した。

 「入植する前は、大型機械を導入するから稲作はずいぶん楽になると、と言われていたのですが、入植してわずか4年後、国による米の生産調整が始まり、減反を余儀なくされました」。

それは宮西が農業高校を卒業してすぐのことだった。