民衆こそ王者ー池田大作とその時代 「友よ強く」──働き学ぶ誇り(4) 26 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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    勝つんだよ ②


 半年後、杉本はこれまでの人生を綴り、定時制、通信制高校の生活体験発表大会に応募する。杉本の弁論は大阪の府会議長賞をとり、NHKラジオで全国に放送された。

 二年後、猛勉強の末、大阪産業大学の二部に進んだ。学費は母と離婚した父が工面してくれた。

「7年かかりましたが、関西飛翔会(学生部の大学二部のグループ)の仲間の励ましもあり、卒業できました。就職活動では50社ほど面接を受け、富士通エフ・アイ・ビーに採用が決まったのですが、採用理由は『明るい人柄』だったそうです」と笑う。池田との出会いから10年目の春だった。


 杉本は傷がいとともに生きる自らの体験をもとに、各地の小中学校で講演してきた。2001年(平成十三年)、その功績が認められ、会社から「特別社会貢献賞」を受賞する。記念の会食の場には、社長や専務ら最高幹部も列席した。

 「いつか社長さんとご飯を食べることもある。ちゃんとお箸を使えるようにならんとあかんで」──かつて自分の心の扉を開いてくれた仲間の励ましを思い出した。「その通りになったよ」。杉本は箸をにぎったまま、晴れの席でぽろぽろと涙をこぼした。

 池田は杉本の母、初枝に一首の和歌を贈っている。


  宿命を

  のりこえ勝ちこえ

     不朽なる

  我が家は勝利の

    記念の城かな


 「友よ強く」の作曲を手がけた今城洋一は、池田の前で曲が発表された日(1972年2月20日)、裏方の役員をしていた。池田はこの日、今城に声をかけ、「友よ強く」の詩について「十九歳で夜学に通いながら、皇居の前を自転車で通った時、作ったものです」と語っている。

 昭和二十年代から、学会の発展とともに多くの人を鼓舞してきた「友よ強く」。

二十一世紀に入り、中国でも翻訳された。「朋友(ポンヨウ、你要(ニーヤオ)堅強(ジェンチャン)」というタイトルで、日本語学習の参考書に収録されている。