父は生き抜いた ③
父の退職金は治療費に消えた。母の幸江は大切にしていた指輪も着物も生活費に充て、昼夜のくべつなくパートで働き詰の日々に変わった。裕は昼の高校進学をあきらめ、千代田区大手町の弁護士事務所で事務員をしながら中央大学高校の定時制に通った。妹の千鶴子(東京・北区、地区婦人部長)も定時制に進んだ。「不満でした」と裕は振り返る。
「働いた弁護士事務所は日本有数の規模で、周りの職場もいわばエリートの集まりです。毎朝、夜学の制服を着たまま、彼らに交じって地下鉄の丸の内線に乗るのが嫌でした。今から思えば劣等感のかたまりでした」。
なぜ自分だけこんな不運なのか。ヤケになって家出したこともあった。そんな裕に父の武雄は「車いすを押してくれ」と頼み、弘教に歩いた。乗用車を手だけで運転できるように改造し、地方折伏にも赴いた。
「父の姿を通して、私は信心を学び、師弟を学びました。父を馬鹿にする人は多かった。『あなたの足が生えてきたら信心してもいい』と言われたこともありました」。
ある日の帰り道、あまりにひどい言われように耐えかね、裕は武雄の車いすを押しながら「父さん、もう十分だよ。仏法の話をしなくてもいいよ」と説得した。
「私が『その体はもう治らないのに、なぜそんなにがんばるのか』と強く言った時、初めて父から『願兼於業』という言葉を教わりました」。
願兼於業──「願、業を兼ぬ」と読む。法華経に由来する「菩薩の生き方」である。悪世の衆生を救うため、あえて苦しみや悩みの「業」を背負って生まれる。この生き方を創価学会では「宿命を使命に変える」という。
武雄は微笑んで、淡々と言った。
「誰がどう言おうと、この姿で生き抜くのが俺の使命だ。この願兼於業という言葉の通りに生きていこうと、父さんは思っているんだ」。