屋台を引いた創立者 ②
「昼間働きながら、夜学ぶということは、心身ともに疲れる。苦しき仕事、深夜の勉強に打ち勝つには、肉体的にも精神的にも相当の体力を要する。当時、私は京浜蒲田駅の裏にあった蒲田工業会という大田区の中小企業の助成機関で、事務書記として働いていた」(同)
この「忘れ得ぬ出会い」のなかで、池田は、自ら学んだ大世学院(現・東京富士大学)での日々を振り返り、創立者である高田勇道の遺徳を偲んでいる。
文字通り自らの命を削って富士短期大学を創立し、四十二歳で世を去った高田勇道は、青春時代の池田に鮮烈な印象を与えた(『民衆こそ王者』第四巻)。
高田は早稲田大学の専門部政治経済学科を首席で卒業した。その後、生活費を稼ぐために「やきとり一串五銭」と墨で書いた行燈をつるし、屋台を引いたことがあった。
大学時代のクラス担任だった西野入徳は「大世学院と富士短大との出生はあの”やきとり”屋台と深い深い関係があることを私は深く感ぜずにはおれない」と述懐している(『学園創立者 高田勇道先生』富士短期大学)。