民衆こそ王者ー池田大作とその時代 「友よ強く」──働き学ぶ誇り(1) 20 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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   「父母も 君の命に」 ①


 「八月十三日の部員会」に参加した人々は、池田の約束どおり、「私が行った以上の思い出」を持ってそれぞれの家に帰った。その後も、彼らに対する池田の励ましは絶えない。

 都立小山台高校の定時制に通っていた高橋右内(千葉・流山市、副本部長)。高校三年の時、長年病に伏せっていた父が亡くなった。高橋自身も大学受験を控えた冬、突然、猛烈な腹の痛みに襲われた。

「急性の腹膜炎でした。大きな病院に移って手術した後、医師から『あと一時間遅れていたら命はなかった』と言われるほど重篤でした」。術後も耐えられないほどの痛みが続いた。友人がお見舞いに来てくれてもろくに返事もできない。勤め先のカメラ工場はクビになるのか。進学はもう無理か。心が揺れた。


 その「つらくてつらくてどうしようもなかった」という日々を支えてくれたのは、一枚の原稿用紙だった。病状を聞いた池田から、お見舞いとして届いたのである。ベッドの上でその原稿を読み、高橋は泣いた。そこには、


  希望に燃えて

  怒涛に向い

  たとい貧しき身なりとも

  人が笑おが あざけよが

  じっとこらえて 今に見よ


 と書かれていた。かつて青春時代の池田自身が書き留めた詩である。

 高橋は半年後に退院した。

「一度は大学をあきらめましたが、男子部の先輩にも励まされ、二十一歳で立正大学の二部に入りました」。さらに大学院で修士号をとった後、中学の英語教師になった。

「あの病室でいただいた原稿用紙が、すべての出発点でした」と語る。