五人に一人が定時制 ②
敗戦から八年経った頃の雑誌「中央公論」には、都内のある高校教師の談話が載っている。
「学校へくるための本質的な理由がどうあるにしても、勉強をしようという心がまえの真剣さにおいては、定時制高校生のほうが全日制高校生よりもまさっている・・・・・昼の高校生ならば、休講になると喜ぶところだが『定時制の子』たちの場合は反対で、時間があくことを喜ばない」(1953年6月号)
池田が高等部をつくった時点でも、全国の高校生一割以上が定時制に通っていた。当時の朝日新聞には、「学校があるから勉強する」という全日制の生徒の行き方よりも、「勉強したいために学校へ行く」という定時制の姿勢に惹かれ、定時制学び続けた女子高生の話が紹介されている。(1965年十月十七日付け)。
1968年(昭和43年)に創価学園を、71年(昭和46年)に創価大学を創立していく池田の教育思想は、池田自身の苦学の体験と時代背景を抜きに考えることはできない。そして定時制や夜学で学ぶ青年たちが、池田とともに生き、紡ぎあげていったドラマには、創価教育の根幹をなす「学ぶ喜び」「学ぶ尊さ」が詰っている。
「『定時制は大事だよ』と、何度も何度も言われました。初代高等部長を務めた上田雅一が語る。
「高等部が誕生したばかりの昭和40年代初頭、先生は一人ひとりを具体的に励ますいっぽう、定時制メンバー全体への指針を示すために、彼ら自身が声を出してぶつかってくるのを待っておられたような気がします」
定時制メンバーに対する池田の本格的な励ましは「一人」の声に応ずるところから始まった。