「生涯、忘れざる人々」 ①
「疲れきった身体を、引っ下げて帰宅」「すぐ横になる」(一九五七年九月二十五日の日記)。
「信仰、茲(ここ)に十年。次の十年の、運命は如何。人生は、勝負だ。新たな荒波が、待っているように思われてならぬ」(同二十六日)。
残暑を過ぎても、池田の体調との闘いは続いた。
「身体の具合、全く悪し・・・・・十年、一剣を、磨かねばならぬ・・・・・それにしても、根本は身体だ。強健なる体力だ」(同二十七日)。
「色心ともに、一日中だるし」(十月七日)。
「無理な一日。そのためか──心身の調子、芳(かんば)しからず」(十月十一日)。
「裁判が十八日である。無罪を祈念し奉る・・・・・自己の真の宿命打破」
「疲労、日々に重なる。妙は蘇生の義なれば、必ず、再生の生命やあるらん」──そう記した十月十三日。池田は静岡の沼津で組長会に出席した。大阪大会を終えて帰京する際、沼津駅で見送ってくれた人々への感謝も込めて、全力で励ましている。また「堂々と 地涌I(じゆ)乃菩薩の 自覚みち 怒涛を乗りこへ 広布ぞ使命と」等々、何枚も色紙に揮毫して贈った。初公判を前に、池田の”怒涛の日々”は激しさを増していった。