民衆こそ王者ー池田大作とその時代 青年の譜(10) 「大阪事件」(4) 12 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  原爆だけは許せんぞ ④


 幸い、広島の家族は無事だった。しかし一年半後、梅林は急に髪の毛が抜け、下痢が続き、疲れやすくなった。症状がおさまっても、周囲に原爆症で苦しむ人が多く、不安は消えなかった。

 「学会に入ったのは父の脳溢血がきっかけです。昭和30年でした」。社宅に住む父の知り合いが、母のトキ子を座談会に誘った。医師から再起不能だと言われていた父の二八は、一年後職場復帰を果たした。


 男子部で活動し始めた梅林は「大阪大会」にも参加している。「長崎から行った16人全員、公会堂の外でずぶ濡れになりましたよ」笑う。

 大会が終わった後、池田は公会堂を飛び出し、豪雨に打たれた場外参加者に声をかけて回った。

「私たちは『堺支部』や『長崎班』と書いた旗を掲げていました」。長崎の旗を目にした池田は「遠くからご苦労さまでした」と声をかけ、全員と握手している。

 梅林はやがて長崎の中心者となり、平和運動にも力を注いだ。創価学会が総力を挙げて取り組んだ反戦出版のうち、長崎を舞台にした証言集は合計7冊。梅林も含め、実に300人に及ぶ戦争体験が収められている。