1957年(昭和32年)7月3日、
大阪府警に任務出頭した池田大作は
無実の罪で不当逮捕される。
「大阪事件」。四年半にわたる法廷闘争で
潔白が証明され、検察も控訴なし──
無罪確定から本年で50年を迎えた。
権力と自ら対峙しつつ、同志を懸命に励まし
今日の関西の発展を築いた池田の日々を追う。
「私の胸は張り裂けるようでした」
大阪府警なんかに行かないでほしい、と矢追久子は池田大作に泣きながら頼んだ。「行けば帰れんようになるに決まってます」。
1957年(昭和32年)7月3日。大阪の伊丹空港に着いた池田は、男子部馬場武夫(尼崎市、副圏長)が運転する車に乗った。
行き先は任意出頭を求められた大阪府警である。
矢追は、初代関西婦人部長である白木文とともに”関西のお母さん”として親しまれた。その矢追が無理な願いとわかりつつも語りかけたのは、池田が弁護士たちとの打ち合わせのために立ち寄った新大阪ホテルでのことだった。