漆の如く、雪の如く ①
19歳の越川巌は大学進学の夢を捨てきれなかった。高校教師の長男は家を顧みず、次男も大学に行くと言ってきかない。巌は三男だった。
「家族のために炭鉱で働かざるを得なかった。進学をあきらめ、暗い坑道での仕事はきびしく重労働であり、毎日が地獄そのものであった」(越川の手記)。親友たちが颯爽と進学する姿に胸が痛んだ。
学びたいが働かねばならない──悩みを吐露する越川をじっと見つめた後、池田は、最高学府で学ぶことは間違いなく有意義だが「大学の勉強が人生のすべてではない」「信仰を通して人生の中で人生の中でいくらでも勉強できるよ」と励ました。
そして「私も大学に行きたかったが」と続け、戸田のもとで過ごした嵐のような日々を語った。
「あらゆる学問を、戸田先生を通して、生きた学問に変えることができました」。
越川は、具体的な何かわかったわけではなかった。しかし「必ず道は開ける」と確信できた。
池田はさらに「御本尊を漆のごとく、雪のごとく信じていきなさい」とも教えた。日蓮が門下に宛てた手紙に「雪至って白ければそ(染)むるにそめられず・漆至ってくろ(黒)ければしろ(白)くなる事なし・・・・・いかにも御信心をば雪漆のごとくに御もち有るべく候」(西山殿御返事)という一節がある。
「夫は『漆のごとく』『雪のごとく』という言葉を一生の指針にしていました」(妻の越川弘子。札幌市、区副婦人部長)。越川は炭鉱で働いて家族を支え続け、のちに夕張市議会議員として地域のために尽くした。