「氷を割って進む船」 ①
鉱員が仕事を休む時は、各集落の「労務連絡所」に届けを出す。婦人部員たちが夫の休みを申請しに行っても、後回しにされ、取り合ってもらえないことが増えた。
真谷地出身の五十嵐和子(苫小牧市、副本部長)。小学生になったばかりだった。
「お祭りや、いろいろな催しあったのですが、学会員の子だけお菓子をもらえませんでした」と語る。自宅が座談会場だった。深夜、激しい物音が響いた。
「窓が割られ、炭殻((たんがら)石炭を燃やした灰)がどさっと投げ込まれたんです」。犯人はわからなかった。
荒関政雄は「人車」の乗り場から遠く離れた場所に引っ越しさせられた。夕張の商店街で慣行となっていた「つけ払い」の拒否、「労金」(労働金庫)の門前払いなどは日常茶飯事になった。
ハーモニカ長屋は、ひと冬越すと雪の重みで傷んだ。その修理も重要な福利厚生の一つだが、「学会員が申請しても後回しにされ、雨漏りも、きしんだ出入り口も、いつまでも直してもらえなかった。畳の張り替えも断られた」と澁谷安男は振り返る。
「何より子どもが仲間外れにされるのがつらかった。そうやって皆が苦しんでいた時、池田先生が夕張に来てくださったんです。雲間からさしこんだひと筋の光というか、『氷の塊を割って進む大船』が来てくれたように感じました」。