民衆こそ王者ー池田大作とその時代  青年の譜(5) 「夕張炭労事件」(上) 4 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  吹雪の日の出会い ③


 「母は二年後にもう一度、先生と同じ汽車に偶然、乗り合わせたことがありま

した」(百合子)。梅子は「先生、しばらくでございました」とあいさつしながら、「

(今まで出会った人は)大勢いるのに、私のことなど知っていてくださるわけがな

いと思った」という。「母がそう思った瞬間、先生は、にこにこしながら母に『あれ

から二年になりますね。あの時もこの列車でしたね』と声をかけたのです」。

 

北海道の広大な天地でも、池田は「一人」に焦点を当て続けた。

 梅子はゆり子の結婚を機に札幌へ、パートで働きながら、60歳を過ぎて着付

けを習った。地域の文化活動も手伝い、800人が入るホールで着付けショーを

手がけたこともある。2000年(平成12年)に66歳の生涯を終えるまで友好の

輪を広げた。


 池田が初めて夕張を訪れた1957年(昭和32年)1月には、すでに夕張の学

会員に対する炭労(日本炭鉱労働組合)の嫌がらせが始まっていた。「先生は

文京支部に関わることは逐一、くわしく報告を受けておられた。夕張で学会員

へのいじめが起きていることも当然ご存じでした」(黒柳明)。


 同年夏にかけて、炭労は学会員に対する組織的な圧迫を強め、ついには「信

教の自由」を踏みにじる暴挙にでる。あからさまな弾圧を受けた学会は、抗議

のために「札幌大会」(7月1日)、そして「夕張大会」(同2日)を開いた。池田が

総指揮を執った。今号では、そこに至るまでの経緯を追う。