「自分との闘争」 ③
「防府の地で先生から『広布の戦は時間があるからできるというものではない。なくても戦いは進むんだよ』と教わった。過信は命取りや、中心者に呼吸を合わせな空転になると痛感しました」。大阪・松島支部の派遣隊だった辻仁志(総兵庫総主事)が語る。同支部は弘教が進まず悩み、池田のいる下関まで指導を受けに行く時間が惜しいと感じていた。
「突然、宿に電話があり、先生が防府まで来てくださったんです」(辻)。池田は落胆している辻たちに「できている支部よりも君たちのほうが苦労しているはずだ。そう思ったから来たんだよ」と語り、感極まった壮年幹部を「男は戦場で泣くものじゃないんだ」と励ました。「1時間ほどの滞在で、一緒に御本尊に向かいました。次の日から結果が出始めました」。
同支部の所属だった松井義明(大阪・生野総区主事)。防府の「その家旅館」で朝食のご飯のおかわりを池田によそってもらった。「申し訳ないやら誇らしいやら、最高の思い出ですわ」と頭をかく。寿司屋だった松島支部長の玉置正一が「池田先生にやらせるわけにはいかん、私がやります」と粘ったが、池田は譲らない。最後の一杯まで派遣メンバーの茶碗に盛って回った。
「その前夜、先生は『君たちがなぜ山口まで来たのか教えよう』と言われました。『諫暁(かんぎょう)八幡抄』を通して『仏法西還(せいかん)』という言葉を教わりました」と松井は語る。インドから東へ伝わった仏法が、今度は日本から西へ弘まる、という考えである。
「『ここに集まった君たちが東洋広布をするのだ。必ず仏法が世界に世界に広がる時が来る。一生はあっという間に終わる。私と一緒にやらないか』と。思わず正座しました。当時は山口に来ただけでも大旅行やったのに、あんなことを言う人はいなかった。一生ついていこうと思いました。
松井は当時まだ珍しかったカメラを買ったばかりだった。早朝、「その家旅館」の前で池田たちの
集合写真を撮った。