民衆こそ王者ー池田大作とその時代  青年の譜(4) 「山口闘争」の二十二日 2 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  台所での出会い ①


 児玉シズが残した幾つかの手記を見せてもらった。

「私の結婚生活は本当にみじめなものでした」という一文から始まっていた。1917年(大正6年)、鹿児島に生まれた。村から一人だけ女学校にも行き、何不自由ない青春だったが、嫁ぎ先で暗転した。

「飲む、打つ、買うの三拍子」が揃った夫だった。月給は酒代に費やし、芸者遊びに狂い、見知らぬ女性を自宅に連れ込んだ。「地獄のような毎日」が続いた。

「次男(=鐵兵)を連れて家を出るはめになりました。子供連れの私に、働く場所があるはずがありません。結局、遠縁にあたる親類の旅館に住み込み、女中(仲居)として朝早くから夜遅くまで、台所に這いつくばって、働き続ける毎日でした」。

 苦労は重なる。三歳の鐵兵が40度超の高熱に襲われ、医師から小児麻痺と告げられた。

「お先、真っ暗です。生きて何の幸せがあろう。いっそのこと、子どもを道連れに死んでしまおうと何度思ったかわかりません」。そのたびに子どもの可愛い寝顔を見た。死ねなかった。仲居として仕事に精を出した。


 鐵兵が12歳の秋、11月──シズが働いていた「ちとせ旅館」(山口県徳山市=現・周南市)に、若い人達が連泊した。「創価学会」という。聞いたことのない団体だった。シズは女将の大川ツネ子らと台所で夕食の鰻を焼いていた。夕方、一人の青年があいさつに来た。

「おかみさん、良いにおいがしますね、大勢来て、大変御迷惑をおかけして、すみませんね。よろしくお願いいたしますと、深々と頭を下げてあいさつをされました」。

 「驚いたのは私たちの方です。一般のお客さんは、自分の部屋に女将を呼ぶのが通例です」 「『普通の人とは違うね』とみんなで囁きあったものです」──その青年は前々日に岩国、前日に柳井を訪れ、徳山に着いたばかりの池田だった。仕事が一段落したツネ子とシズは、誘われていた座談会に参加した。二人は池田との対話を経て、その日から信心を始めた。