「1日20分、読書と思索の時間を」 ①
「本を読まねばならぬ、若いうちに。老いて、後悔せざる為にも」(1955年10月25日の日記)。
「読書の秋、否、365日、読書の日にしたいものだ」(3日後の10月28日)──青春時代、池田にとって読書はこよなき楽しみだった。
戸田も「一流の本を読め」と厳しく鍛えた。
「幾度も、歴史の本を読むよう、常に(戸田)先生はいわれる。大事は、史観なりと」(53年10月7日)。
「『モンテ・クリスト伯』読了。読書は、智慧も、知識も、指導力も、そして御書の読み方にも、力を与えてくれる」(1954年2月18日)。
「読書。『ブルターク英雄伝』遅く休む。──明日も、又、読もう」(同6月12日)。
「夜、3時頃まで読書。妻に早く休むよう注意受く」(翌13日)。
第一部隊のメンバーにも「ここにあるものは何でも、好きなものから読んでいい」と言って自宅の本を持って行かせた。
江戸川で活躍した鈴木政行は当時、第一部隊の班長だった。
「書名を見ると、私には読みたいような本がない(笑い)。やっと『三国志』『水滸伝』を選んで持ち帰ったものです。とにかく青年は本を読め、頭の良し悪しではなく、青年は本をむさぼるように読んでいかなくてはならない、といつも言われていた」と語り残している。
ある日の秀山荘、鈴木の服のボタンがとれていたことがある。池田は「ボタンがあるべきところにはボタンをつけなさい」とたしなめた。「私も靴下を自分で縫ったんだ。たとえ古くても、破れたところはきちんと縫う。それが『着こなす』ということにつながるんだよ」。
独身時代の池田の日記には「皆、破れてしまい、靴下1足もなくなる。困った。自分で、明日の間に合わせに、1足繕う」(22歳)、「洋服が破れ、うまく縫えぬので困る」(23歳)等の記述がある。
池田は、電球に靴下を履かせれば、しわがきれいに伸びて縫いやすいんだよ、と鈴木に手真似で教えた。