エネルギーに満ちた言々句々──
1970年発表の長編詩「青年の譜」には、
青春の日に培った池田の信念が踊る。
空襲で焦土と化した街での苦学、肺病。
魂を揺さぶる教師との語らい。
人生を決定づける恩師との出会い。
「民衆救済に生きる」と決めた青年は
苦悩の人々とともに歩んでいく。
「俺が一番会いたい人は、この人なんだ」
1996年(平成8年)3月上旬、東京・台東区。中俣貴美子(台東区婦人部議長)は蔵前の路上で、ふと
自転車を止めた。リヤカーいっぱいに積まれた色とりどりの花々が、道行く人の目を楽しませている。今は
少なくなった鉢植えの行商である。創価学会はこの年の1月から3月にかけて、全国各地で小単位の婦人
部総会を行った。台東区婦人部長だった中俣。
「総会が無事に終わった感謝を込めて、池田先生と奥様への手紙と一緒に花を届けたいと思っていたのです」。リヤカーを引く行商人から声をかけられ、話が弾んだ。
「人なつっこい笑顔が印象的なおじさんでした」。リヤカーに並ぶ植木鉢。赤、白、ピンクの南京桃がひとき
わ美しかった。迷わず買い求めることにした。
行商人は80歳近かった。中俣は婦人部総会のために作られた栞を、思わず「自宅でお待ちの奥様に」と
手渡した。その栞には、池田大作が全国の婦人部に贈った和歌が綴られていた。
「微笑みの 母がおわせば 太陽が 照らすと等しき 平和の城かな」──
「へえ!いい歌だねえ。奥さん、和歌を詠むの?」。驚く行商人に中俣は笑いながら、「ちがいますよ」と栞
の裏を見せた。「池田大作」と記されている。
「その瞬間、おじさんの表情がみるみる変わりました」(中俣)。
「あんたは池田先生を知っているのかい?」。行商人は池田のことを「先生」と呼び、顔をほころばせて言った。
「俺が一番会いたい人はこの人なんだよ」。