写真ー人生を照らす光(下)   満月の夜 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 1971年(昭和46年)6月9日、函館の大沼研修所(現・函館研修道場)。執務に区切りをつけた池田大作は玄関に向かった。

「午後8時過ぎ、『ちょっと出よう』とおっしゃり、車で大沼湖畔を回られました」(大黒覚、北海道主事)。同研修所の職員だった石田耕造(副北海道長)。玄関での会話を覚えている。

「池田先生に『外が明るいね。あの光は何だろう』と尋ねられ、高間孝三さん(北海道総主事)が『函館の灯りだと思います』と答えておられました」。

 同じやりとりが道中も繰り返された。

「道路はうっそうとした木々に囲まれていましたが、たしかに山の向こうが明るかった。途中で車を降りた先生は、輝く湖の水面を眺めて『何の光だろう』と。そして再び車に乗り、少し走った時でした」(大黒)。その瞬間を池田自身が書き残している(「ニッコールクラブ」1971年秋季号)。

 「私はハッと息をのんだ。私たちを待っていたのは人工の光ではなく、あまりにも巨大にして優雅な天体であった。太陽ほどもあろうかと思われる堂々たるその存在に、それが月であることに、一瞬、気がつかなかった」。池田は大沼湖畔を一時間弱かけて回った。この夜に撮影した満月が、写真展「自然との対話」の淵源になった。


 「月の写真をこんなにたくさん撮っておられるとは驚きました」。「星の手帖社」の社長、安部昭は池田の写真集『月』をめくりながら語った。同社は天文教育の支援にも力を入れている。

「集中して月をお撮りになった時期があったとすれば、大きな心境の変化があった時や、体調を崩された時ではないでしょうか。フランス語では『太陽』は男性名詞、『月』『海』は女性名詞です。疲れた時は、月や海を見るほうが癒されるものです」。

 阿部は「月そのものの写真なら、三日月や繊月(細い月)が絵になります」とも語る。「満月は『盆のような月』という歌詞のとおり、のっぺりして表情が乏しい。しかし池田名誉会長の写真は三日月よりも満月が多い。『月そのもの』ではなく、木の枝や、緑の葉や、富士山など『月光に照らされる世界』を写そうとされたのかもしれませんね」。


 会長職という激務のなか、なぜ折々の風景を撮り始めたのか。「月と夕陽とカメラ」と題された池田のエッセーがある(「ジュノン」1974年2月号、主婦と生活社)。

 「元来、不器用な私にとって、カメラとの邂逅(かいこう)は、正式には昭和45年のことといってよい」──それは前年から起こった「言論・出版問題」で、池田が体調を崩した時期だった(単行本『民衆こそ王者』第一巻で詳述)。

 「少々、心身ともに疲れていた私に、激励を兼ねてであろう、ある人たちがカメラを贈ってくれた・・・・・『是非このカメラを使用して、何かを写してもらいたい』と」。

「しかし、半年も先まで日程が組まれている悲しい私には、自由な写真旅行とか、写真行脚とはいかない。そこで、会合等で、遠出をした場所を選んで、たまにファインダーをのぞくということを覚えたのである」(同)。

 そうして最初に選んだ被写体が「月」であり、「夕陽」だった。池田は「華やかな表舞台の人よりも、陰の人にこそ合掌する思いで、私は生きている。だから、月が撮りたかった」(1999年3月28日付「聖教新聞」)と回想している。次のような短文も綴っている。


 夕陽を浴びながら

   これから座談会に歩みゆく

 君の姿の荘厳にも似た

   尊い軌跡のために

 私は、この瞬間を写しとりたい


 まさに沈みゆかんとする

   太陽の彼方

 悩める民衆と語りゆく

   君の黄金の人生と活躍を

 私は、心して包みとりたい