「母」の長編詩発表の3年前(1968年1月)、池田は学会婦人部に「生命の尊厳を護る者へ」と題する詩を贈っている。
「太古のその昔から/生命を無上のものとして/こよなく慈しみ/心くだきつつ 育てつつ/一すじに生きぬいた 貴い性──/それを 私は女性と呼ぼう」
「最も地道に もっとも迅速に/生命の尊厳を 身をもって護るものよ/永遠の平和と繁栄は/いずこにあるものでもない/あなたたちの──/純粋な 力ある胸中にこそあるのだ」
「あの詩は衝撃でした」秋山栄子(婦人部総主事)は語る。
「皆、生活の悩みで右往左往していました。悩みは尽きないけれども、私たちには、はるかに目指すべき目標があることを示していただいた」。峰山益子(関西婦人部主事)は「それまでの人生で、これほど女性の存在を讃える詩を贈られたことなどなかった。1日1日をどう生きるかで精一杯の私たちに、こんな素晴らしい使命があるのかとびっくりしました」。
生命の守り手に対する池田の敬意は、「母」の詩にも脈々と流れている。その思いに旋律が伴い、19行の歌詞に結晶したのは、1976年(昭和51年)夏のことだった。