小説『人間革命』と沖縄(上)       執筆開始の日 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 1964年(昭和39年)12月2日。

 旧・沖縄本部の二階。

 仲間玉枝(沖縄支部初代婦人部長)は控え室で、数人の婦人部員とともに諸行事の準備をしていた。

 隣の和室。沖縄を訪問中の池田が執筆を続けていた。

 仲間は「池田先生が座ったまま、冷やしたタオルを額にのせ、天井を眺めている姿を何度か目にした」と言う。微熱が続いていたようだ。

 その時。和室から「バァン!」と机を叩く音。と同時に、

「できた!」

 立ち上がった池田が、すたすたと和室から出て行く足音がする。

 急いでお茶を替える。机上を見る余裕はなかった。何が「できた」のか。彼女はわからない。


 沖縄創価学会の一粒種、安見福寿。同じく12月2日。

 一階の洗面所から二階の和室へ、池田が階段を上ってくる。

 バシン!バシン!と手を叩く。「とってもいい原稿ができたんだよ」と満面の笑み。

 何の原稿なのか。

 安見は、師の次の言葉を待った。


 この日、沖縄の学生部員が旧・沖縄本部に集まっている。

 桃原正義(総沖縄長)。琉球大学の一年生だった。

 前方にいる幹部たちに、さっと緊張が走った。背後から声がした。振り返る。

「やあ!沖縄学生部、やってるな!」

16ミリの「聖教ニュース」でしか知らなかった、池田会長がそこにいた。

「諸君の一人一人が、沖縄の各方面の指導者になってもらいたい。沖縄の民衆は諸君の成長を待っている」

 この日、池田が何を書き記したのか。学生たちが知るのは、後日のことである。

 なぜ沖縄だったのか。その淵源は、4年前にさかのぼる。