新聞記者と別れ、公用車に乗り込もうとした瞬間、本島等は異様な気配を背後に感じた。
パン!
銃声。熱い火箸を突き刺されたような衝撃が走った。
たった今、本島と別れたばかりの記者たちは長崎市庁舎の玄関前に飛び出す。修羅場を踏んでいるはずの彼らも息をのんだ。
本島が胸をおさえながら、膝から崩れ落ちている。背広に赤黒い染み。路上に血だまりができていく。
「市長!」
1990年(平成2年)1月18日午後3時過ぎである。
犯人取り押さえ、救急車搬送。取材陣は、病院や警察に散って、原稿を書き殴る。
「長崎市長が狙撃され重体」「至近距離1・5メートルから撃たれ、左胸を貫通」「犯人は右翼団体幹部」・・・・。
戦争責任に関する本島の発言が引き金だった。
戦後、初めて要人が国内で撃たれたテロ事件だった。
辛うじて一命を取り留めた本島。
「人間というものは、十人から激励や支持を得ても、一人からすごい非難攻撃を受けると、案外こたえるものですね。眠れぬ夜もありました」
言論の重さは生命の重さに等しいことを、改めて知った。