ここだ・・・・。青年は立ち止まって、頭上の看板をながめた。
「創価学会本部」。白地に黒い文字で書かれている。右手でネクタイの具合を確かめ、右脇の細い路地に入った。
東京・西神田の旧学会本部。建物には、戸田城聖が営む信用組合の事務所があり、本部機構もここに置かれていた。裏口から階段を上がり、中二階の和室をのぞく。
「いよう、仙台!よく来たなぁ」戸田が、いつものニックネームで呼んでくれた。
渋谷邦彦は生粋の仙台っ子である。戦前、中央大学で学んでいたとき入会した。戦後、生まれ故郷で実家の海産物商を手伝っていたが、インフレの高波に飲み込まれて倒産した。
職を探しに上京したのは、1950年(昭和25年)の秋である。戸田は、久しぶりに会う東北の青年をねぎらった。
「このご時世だ。男一人でも暮らしを立てるのは、なかなか大変だよ。気長に構えることだ。ところで、こっちに泊まる場所はあるのか?」「いいえ・・・・」
「そうか。心配するな。僕が心から信頼し、右の腕とも頼んでいる青年を紹介しよう。上の仏間でまってなさい」
待った。しばらくして白い開襟シャツの青年が現れた。目が合った瞬間。
「渋谷さんですね。池田と申します。戸田先生からすべて伺いました。私の部屋でよろしかったら、ご自分の家だと思って、何日でも何ヶ月でも住んでください」
初対面で、しかも突飛な願いなのに、こころよく受け入れてくれる。
「田舎者ですが、よろしくお願いします」歯切れのよい声が返ってきた。
「僕も下町の生まれです。安心してください」
大田区のアパート「青葉荘」。ここで計5日間、厄介になった。
男の一人暮らし。さぞ殺風景だろうと思っていたが、きれいに掃き清められ、整然としている。部屋を圧する大きな書棚。哲学、文学、政経、科学・・・・。よく読みこまれた本がギッシリと並ぶ。
池田大作青年は毎朝早く、きちっと身なりを整えて出かけた。帰宅は決まって深夜である。”いったい、この人は・・・・・。朝から晩まで何をしているのか、口にすることはない。ただ布団に身を横たえた顔には疲労の影が濃い。時には熱っぽく見える。それでいて、腹を減らしていると外食券のつづりまで分けてくれた。
「東京は食糧難ですから。これを使ってください」
帰る日がきた。せめてものお礼に、田舎から持参した米を差し出した。木綿の手ぬぐいで縫い合わせた袋に仙台米が二升つめこんである。
「かえって申し訳ないです」
池田青年は、しきりに恐縮した。あいにく就職先は決まらなかったが、渋谷は心を奮い立たされたような思いで仙台へ戻った。ほどなく大手保険会社に就職することができた。
後年、渋谷は思いがけない話を聞いた。
あの時の米二升ー。
戸田が語ったというのである。
「大作は『弟子の真心ですから』と言って、そのまま全部オレにくれたんだ」
当時は事業に敗れ、膨大な負債を抱えていた。そのもとで池田青年は孤軍奮闘。からだを病み、給料を遅配の連続だった。
渋谷には思いも寄らなかった。
「あんな修羅場で、俺のような田舎者を、温かく迎えてくれたのか」
参考文献「池田大作の軌跡Ⅳ 第一章より」