長兄の出征 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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 池田名誉会長は、今の東京・大田区の入り新井に、昭和3年正月2日、九人兄弟の五男として海苔屋の家に生まれた。

 名誉会長が小学2年生の時に、父親がリューマチで寝たきりになってしまい、生活に窮する事となった。

 昭和12年に長兄が中国大陸に出征し、兄という働き手を失い、生活はますます窮していった。小学6年政の頃には、次兄も出征していった。

 高等小学校2年生の時、昭和16年12月8日の”真珠湾攻撃”があった。その頃長兄の喜一は4年ぶりに一時、除隊になって家に帰っていた。

 長兄は憤懣やるかたない様子で、戦争の悲惨さを名誉会長に語った。

「日本軍は残虐だ。あれでは、中国人がかわいそうだ。日本はいい気になっている!平和に暮らしていた人達の生活を脅かす権利なんて、誰にもありはしないはずだ。こんなことは絶対にやめるべきだ」

そして最後に、涙さえ浮かべて言った。

「大作、戦争は、決して美談なんかじゃない。結局、人間が人間を殺す行為でしかない。そんなことが許されるものか。皆、同じ人間じゃないか」

「でも、兄さんは帝国軍人でしょ」

「そうだ。そして、戦地を見てきたからこそ、私はお前にいうのだ」

その長兄の話が、いつまでも名誉会長の心に焼き付いて離れなかった。


 当時、名誉会長は”国民学校”に通っていた。昭和16年の4月から、国民学校令によって、通学していた”羽田高等小学校”から、萩中国民学校に名前が変わった。国民学校令には「皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス」とあるように、学校は国のために忠義を尽くす、”小国民”を錬成する道場となっていた。

 軍国主義は、幼い魂にも、刷り込まれていったのである。

 名誉会長も国民学校で、国のために戦い、死ぬことが、臣民としてのまことの道であると教えられていた。それだけに長兄から聞いた戦争の話は、衝撃的であった。


            参考文献  池田大作著「私の履歴書」「新・人間革命 第3巻 平和の光」