池田とトインビーの出会いは、次々と「新しい出会い」を生んでいった。その一つの象徴が、世界的な民間組織「ローマ・クラブ」の創設者アウレリオ・ペッチェイである。
ペッチェイとの出会いのキーワードもまた「人間革命」であった。
トインビーは、池田との2年越し40時間にわたる対話を終えた後、何十人かの友人の名前を書いたメモを、通訳の山崎鋭一にそっと渡し、伝言を託している。
「私の親しい友人です。池田会長はお忙しいでしょうが、もし、お時間をとっていただいても、決して時間の無駄にはならないと思います」-そのメモに、ペッチェイの名があった。
ペッチェイは、イタリアの自動車メーカーであるフィアット社の再建で名を馳せた実業家だった。
「しかし、やがて自分の努力が裏目に出たことを知る。乗用車の過剰が公害をもたらし、開発途上国への企業進出が、それらの国の経済を圧迫していた・・・・・自分もその責任者の一人であるーそんな悔悟の念が、氏をローマ・クラブ設立へと駆り立てていったようである」(『池田大作全集』第21巻)
そのローマ・クラブの名を一躍知らしめたリポートがある。”近未来の地球はどうなるか”を予測した『成長の限界』(1972年)だ。
-このまま人口増加と工業の成長が続くと、100年もしないうちに資源の枯渇、環境の汚染、食料の不足などで地球は破局に陥るー
具体的なデータで世界中に衝撃を与え、900万部を超えるベストセラーになった。日本の首相経験者にも、この書を読んで「頭をガーンと殴られたような」衝撃を覚え、誠治を志した人がいるほどである。
ペッチェイの活動を支えるキーワードは当初、「人間性革命(ヒューマニスティック・レボリューション)」だtった。人間の外側ではなく、内側を変えなければならない。この信念で動き始めた彼が池田と初めて会ったのは、1975年(昭和50年)5月16日。イタリアからフランスのパリ会館に駆けつけたペッチェイ。その手には小説『人間革命』が握られていた。池田に対して親しみ深く「センセイ」と呼びかけ、
「人間革命と人間性革命との違いは何か?」
「一個人にとって、人間革命にはどれくらいの期間が必要か?」
「集団の場合はどうか?」
等々、2時間半の会談中、熱心に質問を重ねた。「私は今まで人間性革命を唱え行動してきたが、それをさらに深く追求するなら、究極は人間革命(ヒューマン・レボリューション)に帰着するようになった」とも述べた。
それから3年後に行われた、ローマ・クラブの創立十周年総会。ペッチェイは、自身の演説の全文を池田のもとに届ける、その末尾。「大切なことは・・・・・現代のあらゆる改革の頂点に立つ”人間革命”を成し遂げることである」と綴られていた。