4月30日。福岡への移動日である。宿泊先には早朝から学会員が集まっていた。出発した池田。駅への途上で、稲佐山の功労者宅を訪れて母親を励ますなど、最後まで会員との対話を重ねている。
婦人部の藤岡艶子。「もしかしたら」と、長崎駅に向かった。特急「かもめ8号」見送りに来た学会員が鈴なりになっている。「お元気な池田先生にお目にかかれて・・・・・」と藤岡は回想する。池田は、集まった人に中国で買ってきた切手などを、子供には「知恵の輪」を渡すよう、矢継ぎ早に指示していた。
諫早、肥前鹿島、肥前山口、佐賀、鳥栖、博多まで、すべての停車駅に学会員が集まっていた。池田の福岡行きは、すでに新聞報道されている。駅や公共機関に迷惑をかけてはいけない。かつ絶対に無事故で進めなければならない。-役員たちは、各駅のホームが列車の左右どちらなのか、次の駅に何人きているか、万全の連絡体勢を敷いて移動に臨んだ。
しかし、ホームまで来たものの、柱の影や遠くから見つめる学会員も多かった。この数年、「池田を『先生』と呼ぶな」「『師弟』を語るな」と強いられ、脅され続けてきた。
「池田先生にはお会いしたい。しかし、また宗門から責められる。先生に迷惑がかかるのではないか」。多くの同志が葛藤をかかえていた。
池田は到着駅ごとに、咳を右に移り、左に移り、手を振って学会員に応え、中国の絵葉書やお菓子を贈る。
「あの柱の左側のおばあちゃん、懐かしいな。中国のお土産を差し上げて」等々、個別にも指示が飛ぶ。長崎から福岡へ、約2時間半ー池田が座った特急「かもめ8号」4号車「8D」の席の周囲は”臨時本部”の様相を呈した。
4月30日夕刻。福岡の九州文化会館。午前からの雨は止み晴れ間が広がっている。蓮向かいにある公園の木陰から、何人かが池田の到着を見守っていた。「池田先生」と呼ぶ事すら遠慮せざるを得ない雰囲気は、全国の組織を覆っていた。その”よどんだ空気”を打ち破った一人は福岡の婦人部員だった。
澤田あや子は九州文化会館へ向かった。「物怖じしない性格だから、あんなことができたんですね」と振り返る。到着した池田。しばらくして外に出て来て、集まった同志に手を振った。母、姉と一緒に駆け寄る澤田。「池田先生。目標にしていた料理店を、無事に開店できました。ぜひお越しください!」。一気にまくしたてた。
池田は「必ず行くからね」と応じ、早速、翌日には澤田の店で、女子部、鼓笛隊ら21人を招いて昼食会を開いている。
九州婦人部総主事の阿曽沼仁子は、「あの時、九州から壁を破った。それが私たちの誇りです」と語る。
5月1日。午前5時ごろから、会館に続々と学会員が集まってきた。
周辺の整理役員だった佐藤政春。「これでは対応できない」と困惑していた。しかし池田は「学会員を追い返す資格などないよ」と諭した。
「会長辞任から1年、思うように同志に会えないなか、いよいよ始まった激励行でした。学会員を思う師の心を、十分に汲み取れていなかった」と佐藤は省みる。
池田は訪ねて来た会員たちと次々に”予定外の記念撮影”を。その数は、福岡でわかっているだけでも50回近い。