「(戸田城聖は)学会精神の衰弱と形式に堕す組織の官僚性とに、彼みずから真正面から挑戦したのである」(「展望」の章)
『人間革命』第10巻を締めくくる1節である。1956年(昭和31年)8月、当時の幹部が形式にとらわれて、少人数
の座談会を軽視するなど、草創の労苦を忘れ始めていたことを、戸田が諌める場面。これは「聖教新聞」昭和53
年8月3日付けに掲載された。
じつは池田が「創価学会会長」として出版した『人間革命』はこの1文が最後である。
第11巻の連載が始まるのは、2年後(昭和55年)の夏。その時池田は名誉会長になっていた。
2年の”空白”を後述するように池田は、いみじくも第10巻の末尾に書いた通り、彼自身が「学会精神の衰弱と
「組織の形式化」に立ち向かっていた。
創価学会と日蓮正宗の軋轢。その責任を取る形での会長辞任。いわゆる「第1次宗門事件」である。
社会で日蓮仏法を実践し、流布していこうとする創価学会と、大石寺を中心に、僧の「衣の権威」を守り、これに
すがろうとした日蓮正宗。その本質を違いを探るためには、昭和1ケタまで歴史を遡らねばならない。