民衆こそ王者ー池田大作とその時代⑨ | EIKOの気まぐれ闘病日記

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このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 「(戸田城聖は)学会精神の衰弱と形式に堕す組織の官僚性とに、彼みずから真正面から挑戦したのである」(「展望」の章)


『人間革命』第10巻を締めくくる1節である。1956年(昭和31年)8月、当時の幹部が形式にとらわれて、少人数


の座談会を軽視するなど、草創の労苦を忘れ始めていたことを、戸田が諌める場面。これは「聖教新聞」昭和53


年8月3日付けに掲載された。


 じつは池田が「創価学会会長」として出版した『人間革命』はこの1文が最後である。


第11巻の連載が始まるのは、2年後(昭和55年)の夏。その時池田は名誉会長になっていた。


 2年の”空白”を後述するように池田は、いみじくも第10巻の末尾に書いた通り、彼自身が「学会精神の衰弱と


「組織の形式化」に立ち向かっていた。


 創価学会と日蓮正宗の軋轢。その責任を取る形での会長辞任。いわゆる「第1次宗門事件」である。


 社会で日蓮仏法を実践し、流布していこうとする創価学会と、大石寺を中心に、僧の「衣の権威」を守り、これに


すがろうとした日蓮正宗。その本質を違いを探るためには、昭和1ケタまで歴史を遡らねばならない。