「なあに、8度5分くらいだよ」そういって笑った池田の顔が、赤く火照っている。
昭和44年12月20日夜、旧関西文化会館。
この日、池田は東大阪市立中央体育館での関西幹部会に出席。会長として講演し、1万人の同志を前
に、扇をかざして学会歌の指揮を執った。
翌日、何度も訪問要請があった和歌山へ向かう予定である。しかし、風邪をこじらせている。咳もひどい。急遽駆けつけた医師は、急性気管支肺炎と診断。体温計は40度5分を指した。言うまでもなく、絶対安静にしなければならない。
池田は医師に問うた。「明日和歌山へ、どうしても行きたいんだ。皆が、僕を待っている。大丈夫だね」
処置を終えた医師。「今晩は絶対に動かないでください」と頼んだ。
この時に限らず、池田の行動は過密を極めていた。一例として、関西入りまでの記録から、会合出席と会館訪問に限って列挙してみる。
8日 世田谷・目黒の幹部会
9日 杉並・渋谷・中野の幹部会
10日 新宿・千代田の幹部会
11日 江戸川・葛飾・足立の幹部会
12日 日本橋会館訪問。文京・中央・台東の幹部会
13日 埼玉第一・第二・第三総合本部の幹部会
14日 広布勤行会。神奈川県幹部会
16日 静岡県の清水会館、静岡会館、専行寺。焼津会館を訪問。静岡総合本部の幹部会。
17日 小田原本部の指導会
18日 鷹の台会館を視察。創価学園を訪問。寮生、下宿生との懇談会。
連日連夜、老若男女を問わず、数百人から数千人を相手に語る。さらに原稿の執筆、個々人への手紙、通常の執務などが絶え間なく重なる。
池田は関西に向かう直前まで、全国の友への書物に、激励の言葉を記した、その数が300冊を超える日もあった。そうした会長としての日常が、10年近く続いていた。
12日