「生涯を決定する一戦」
池田は東京の大田、文京など中心に弘教の突破口を開いてきた。
昭和30年の年末、つまり戸田がこの世を去る2年3ヶ月前の時点で、学会は30万世帯を超えていた。
驚くべき拡大である。
しかしー。終始、戸田の側で仕えてきた池田。2年の投獄によって痛めつけられた恩師の身体が、徐々に衰弱していく現実に気づかないはずがない。
戸田の願業達成まであと45万世帯。東京のみを中心にしていたのでは、到底間に合わない。
池田が自身の「生涯の決定する一戦であった」(『人間革命』第10巻「一念」の章)と明言する「大阪の戦い」がここに始まる。
どうすれば、不可能が可能になるのか。池田が示した”将軍学”は有名である。
第一の要諦は、強盛な祈り。
第二の要諦は、最高の作戦。最高の行動。この二つの要諦を調和させる信心ー。
ゆえに池田は、一人一人の信心を奮い立たせることから始めた。
昭和31年1月4日、池田は特急「つばめ」で大阪入りし、夜には御書講義を行った。
翌日は午前10時から午後6時まで個人指導である。一つ一つの悩みに、その人の人生がかけられてい
る。真剣に応ずれば、それだけ疲労も重なる。しかし一対一の対話以外に突破口はない。
地区部長会の席上、池田の訴えた言葉が小説に記されている。
「どうか皆さん、皆さんを信頼している会員の一人ひとりを大切にしてください。・・・・・よく話を聴いてあげ、
今の悩み深い境涯から、信心によって必ず脱出できることを、真心こめて懇切に話してあげてくださ
い。・・・・学会といっても、広宣流布といっても、一人ひとりの会員がすべての原点なのです」
「大阪の戦い」での池田の行動は、この言葉につきている。「首尾一貫、草の根を分けての信心指導」(脈動の章)に徹した。