1964年(昭和39年)12月6日夜9時から、1本のテレビ番組が放送された。
「未知への挑戦 人間革命」
一人の学会員を主人公に据えて、本当に「人間革命」は可能なのか迫ろうという企画である。
世間を騒がせている創価学会の運動の核には、どうやら「人間革命」という思想があるらしい。
ここに注目した一人の男がいた。
同年4月に開局したばかりの東京12チャンネル。新進気鋭ののディレクター、田原総一朗である。
「大幹部でない人を取材したい」田原は創価学会の広報担当に要請した。
一人の女子部員を主人公に、3ヶ月にわたって取材。座談会をはじめ、十数か所の会合に訪れた。
女子部員の家族、心理学者、高校時代の恩師などにも声を聞き、45分間の番組にまとめた。
その取材過程で、田原は初めて池田会長と出会う。
東京両国の日大講堂。10カ国・18日間の海外歴訪から帰国したばかりの池田会長を迎えた大会である。
「宗教なんだから、権威的で、厳かな法話だろう。NHKニュースのような話方じゃないだろうか」と想像していた。
全く違った。気さく。威勢のいい江戸っ子。各国訪問の模様を語っても、ユーモアにつぐユーモア。
約2万人の会場は沸きに沸いた。旺盛なサービス精神に驚いた。
その田原に、戦後日本社会で創価学会が果たした役割を聞いてみた。
「それはね、座談会ですよ」と即答した。
「私が取材した座談会は、誰でも集まれて何でも悩みを話し合い、絶望しかけた人が前向きになる、貴重な場だと思った。取材のときも、その後学会員の方々とつきあうなかでも、そう。貧しい人、病気の人、嫁姑など家庭の
争いゆえに不幸な人たちが、どんどん幸せになっていくと感じた。」
田原は3度池田を取材している。
「どの時も池田さんは、何でもお話になった。一切ためらわない」
「今不況の日本しか知らない人が増えている。幸福とは何か。何のために生きるのか。本気になって考えなければならない時代になった。」
学会は、特に若者に方向を示し、『新しい幸せのかたち』つくる役割を課されていると思う。そんな力は、民主党にも自民党にもない。」
ぎろりと睨んで、畳みかけた。
「今こそ創価学会の出番だと思いますよ。」と語った。