創価学会の平和運動は、戦時中国家権力から弾圧を受けたことに始まる。
戦時中、小笠原慈聞という日蓮正宗の僧がいた。
彼は国家神道の時局に便乗し「神本仏迹論」という邪義を唱え、軍事政府の宗教政策に迎合し、日蓮宗各派の統合を押し進めた。
日蓮正宗宗務院は、小笠原慈聞を僧籍剥奪の処分に付した。
しかし、小笠原は益々軍事政府との結び付きを強くし、創価学会弾圧の起因を作った。
そのため、初代牧口会長は地方折伏のため訪れていた下田で逮捕され、同日戸田城聖他21名が逮捕された。
教学のなさから、牧口会長と戸田理事長以外の幹部は皆退転してしまった。
投獄中は、粗末な食事と厳しい取調べに加え、暖房もない独房の寒さは高齢の牧口会長の体を厳しく苛んだ。
牧口会長は「今こそ国家諫暁の秋(とき)ではないか!何を恐れているのか!」と言われ、取り調べに当たった検事や判事に対し、最後まで日蓮仏法の正義を説き、神札を拒否し、昭和19年11月18日に73歳の生涯を閉じた。
戸田城聖も、2年間の獄中生活の中で、牛乳瓶の蓋で数珠を作り、毎日1万遍の唱題に挑戦した。唱題に挑戦するなかで、200万遍の達した時、法華経を真読し、自信が地涌の菩薩の1人として虚空会の儀式に参加していたことを悟達した。
戸田城聖の弟子となる池田大作も、戦時中結核に苦しむ中出征した4人の兄に変わり一家を支えた。自宅は空襲による延焼を防ぐため強制疎開となり、家を取り壊された。叔母の家に1棟建て増しして住むことになったが、家が完成し家財道具を運び終え、明日から引っ越すという前夜、蒲田の空襲にあい叔母の家は全焼してしまった。
燃え盛る火事の中、大きな長持ちを1つやっとの事で持ち出した。長持ちを開けて見ると、雛人形とコウモリガサが1本入っているだけだった。
明日からどうすればいいのか家族が不安になった時、お母様が「このお雛様が飾れるような家に、きっと住めるようになるよ」と努めて明るく答えた。