池田会長(当時)は、アメリカに渡った戦争花嫁のメンバーを激励し、「3指針」を贈った。
1、市民権を取得し、良きアメリカ市民に
1、自動車のライセンスの取得
1、英語をマスターすること
メンバーはこの指針を胸に、見事に乗り越えていきました。
アメリカ指導を終えた一行は、ブラジルを訪問した。
しかし、池田会長は北米指導での強行スケジュールなどで、目に見えてやつれていた。食事も喉を通らず、ほんの一口だけで残し、頬がこけたように見えた。
同行幹部は何度もブラジル行きを止めた。
「ニューヨークで静養してください」という同行幹部に対し、顔色を変えて「行く。絶対に行く。約束したんだ。たとえ、そこで倒れたっていいから行く」と答えた。
ブラジル移民1世のメンバーと対談した折「会長はなぜ、あの時代のブラジルに来たんですか」との問いに「どうしても行きたかった。みんな貧しい。生活も大変。向こうからくるわけにはいかない。だったら、こっちから行くしかなかったんです」
当時のメンバーは、掘っ建て小屋の床もない家に住み、大農園で奴隷のような、ただ働き同然の生活を送っていた。
池田会長は、そんなメンバーを抱きかかえるように励ましていった。
当時のブラジルは、聖職者の権威が高く、浄土真宗、浄土宗、真言宗などの日本の宗教の各宗派がブラジルに押し寄せていた。供養を喜んで差し出すことから「坊主丸儲け」の楽園であった。
最高責任者が、信者と同じ目線で話し、自由に語り合う。供養はとらない学会に対し、ブラジルの各宗派は狼狽し、日本での公明党結党を口実にして、ブラジルの政治家に危機感をあおった。
さらに、サンパウロの一流紙が「破壊活動の宗教、ブラジルの秩序を転覆しようとしている宗教、政治的進出を果たす」と論評する記事が載った。
当時軍事政権だったブラジル政府は、初のブラジル訪問から18年間ビザが発給されなかった。
1984年(昭和59)2月、18年ぶりのブラジル訪問が実現し、フィゲレド大統領と会見し、ブラジリア大学に図書を贈呈した。
2月26日には、ブラジル大文化祭が開催された。
1990年には「ブラジル 南十字国家勲章」を受章したのをはじめ、ブラジル各地には、初代牧口会長、第二代戸田会長、池田会長の名前を冠した通りや橋、公園が設置されており、ブラジル各地の議会では、5月3日を「創価学会の日」として、慶祝議会が開催されている。
ブラジルには「創価教育学」を取り入れている学校も多い。
南米ではブラジルをはじめ、ペルー、コロンビア、ドミニカ、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ベネズエラなどから「国家勲章」がSGI会長に贈られている。