「声聞界・縁覚界」 の境涯は、仏教の小乗教の修行で得られるもので、まとめて「二乗」といいます。
「声聞界」は、仏の教えを聞いて一分の悟りを獲得した境涯です。これに対して「縁覚界」は、様々な事象を縁として、自らの力で一分の悟りを得た境涯です。
「二乗」が得た悟りは、仏の悟りから見れば完全なものではありません。真実の悟りを求め続けるのが、本来の二乗ですが、二乗は低い悟りに安住し、仏の悟りを求めようとしません。
二乗は、自らの悟りのみにとらわれて、他に利益を与えようとしないエゴイズムに陥ってしまいます。
二乗の悟りは、心身を断絶し、仏性を枯死させてしまうので、権大乗教では、二乗の衆生は成仏できない者として、仏から厳しく弾呵(だんか)されたのです。
「菩薩界」 菩薩とは、仏の悟りを得ようとして不断の努力をする衆生という意味です。菩薩は「師弟不二」の精神で、師匠である仏の境涯に到達しようと目指します。仏の教えを人々に伝え弘めて人々を救済しようとします。
自分中心な「二乗」に対し、「菩薩」は、人々の苦しみに同苦し「人のため」「法のため」という使命感を持ち、行動していく境涯です。「菩薩界」の境涯の根本は「慈悲」の心です。
「仏界」は仏が体現した尊極の境涯です。
仏とは、宇宙と生命を貫く根源の法を悟った人です。具体的には、インドの釈尊であり、法華経に出現する多宝如来、三世十方(さんぜじっぽう)の諸仏があります。
日蓮大聖人は、末法の一切衆生を救うために、凡夫の身に仏の境涯を顕された、末法の御本仏です。
「仏界」とは、宇宙全体が無始無終にわたって慈悲の活動を続ける生命体であり、自他の生命がそれと一体であるという生命の真実を悟った境地です。
悟りを根本に無上の慈悲と智慧を体現し、その力で一切衆生を救い、自分と等しい悟りを得させるために戦い続ける人が仏です。仏の境涯は、すべての人の中に具わっています。
日蓮大聖人は、末法の衆生が仏界の生命を顕していくための対境として、御本尊を御図顕されました。
御本尊を信受して題目をあげる時に、胸中の仏界が顕れます。
仏界の生命境涯は、何ものにも侵されることのない絶対的な幸福境涯といえます。