昭和35年5月3日に会長に就任した池田大作は、10月2日、初の海外指導に出発した。
北米指導での強行スケジュールで、池田会長の体調は最悪であった。
同行幹部は皆、池田会長のブラジル行きを反対した。
しかし池田会長は「絶対に行く。たとえそこで倒れたっていいから行く」
ブラジル移民も、貧乏のどん底であった。
ブラジルの学会員は、遙々ブラジルに来てくれた池田会長一行を、歓喜の中で出迎えた。
当時のブラジルでは、聖職者の権威が高く、日本の各宗派が供養目当てにブラジルに押し寄せていた。
創価学会では、最高指導者が、信者と同じ目線で話し、自由に語り合うし、供養は取らない。
慌てたブラジル各宗派は「創価学会は危険」などと騒ぎだした。
ついにサンパウロの一流紙が「破壊活動の宗教、ブラジルの秩序を転覆しようとする宗教」と
論評する記事まで載った。
初のブラジル指導後、当時の軍事政権が池田会長のビザの発給を許さなかった。
ブラジルの学会員は、池田会長の来訪まで、18年またなければならなかった。