関西から東京に出てきて3年の「伸行」は、中学時代に読んだ「フェアリーゲーム」のラストがいまだに府に落ちてなかった。自分以外の人はどんな感想を持ったのだろう…そう思いなんとなくPCで検索すると「レインツリーの国」というタイトルのブログらしいものにたどり着く。プロフィールの名前は「ひとみ」
そこから伸行とひとみのメール交換が始まる。
読んだ本の感想を誰かに言いたい、他の人の感想も聞きたい。
そういう欲求は私もあるけれど、なかなか読書好きはいそうでいないし、たとえいたとしても同じ本を読むとは限らないから、たとえネットの世界だとしても意見を交換したい気持ちはよくわかるし、本の感想を表現するということは、ひいては自分を解放してることであり、自分がどういう考え方をする人間なのかということを言ってるのと同じことなのだ。
自分のことって恥ずかしくてなかなか言えない人でも、本の感想となると言いやすい。
そこで気が合うということは相性がいいということだと思うし、たとえ考え方が違ったとしても、その違う考え方をいいなと思えるのなら意外と相性がいいのかもしれない。
少し恥ずかしがり屋のひとみに関西弁の伸行が踏み込んでいくことで二人はどんどん気持ちが通じ合い、お互いに「会ってみたい」と思うようになるのは当然のなりゆき。
ところが、実際会ってみるとひとみの意外な面に伸行は戸惑う、戸惑うというよりも少し気分が悪くなってしまう。
でもそれには訳があった。
ひとみは難聴だったのだ。
そこから二人の本当の付き合いが始まる。
なにか人とは違うものを抱えてしまっていると、そこに絶望を感じてしまう。
他の人にはわからない世界を持ってしまってる。そこを理解してもらえないなら自分と相手に未来はない。
でも理解してほしいけれど、理解してもらうにはすべてをさらけ出さなければならない。
それはそれはとても勇気がいる。
拒否された時のみじめさを思うと、いっそもうここから引き返そうかと思う。
そんなひとみに対して伸行は持ち前の関西気質でひとみの中にどんどん入り込んでいくのだけれど、
相手を理解するということは、時には相手を傷つけることもある。
難聴に限らず、人と違ったものを持ってしまっている人はいつの間にか「どうせ私なんて」という枕詞をいつも気持ちのどこかに持っていて、周りの人からするとそこが鼻につくのだと思う。
そこを解決しないと本当の信頼関係は出来ないと私は思う。
私も人には理解してもらい難い事情を抱えていて、私には無理だわ、とあきらめて生きていることが多い。
そう思いながらもそんな私の状況を理解してくれる人がいたらどんなに幸せだろうかとも思っている。
ひとみの心の壁を伸行が一生懸命たたき、本当は伸行も辛いことを抱えて生きていることを告白する。
この二人の気持ちの交換がほほえましくて、かわいくて、羨ましくて、
心臓の奥がキュンとなる本でした。