自分はいつ生まれたのだろうとよく考えます。
勿論、母の身体から出てきた時が誕生日なのですが、
よく考えてみれば母の体内ですでに生命というものは存在していたわけなので、
実際に私という生命が生まれた瞬間を考えるとそうではないような気もします。
例えば私が、自分が見たものしか絶対に信じられないとします。
生まれた瞬間の記憶などありませんので、
私の記憶の中で一番古い記憶が私にとっての生まれた瞬間になります。
死というものを考えた時にも同じようなことが言えるような気がします。
もし仮に、寝ている間に誰かに殺されたとしたら、
私にとっての死は起きている時の最後の記憶ということになります。
客観的な死と自分目線の死とはズレが生じるものだと思います。
ちなみに「脳死は人の死かどうか?」という問題に関して日本では、
「脳死での臓器提供を前提とした場合に限り、脳死は人の死とされます」とのことです。
と、ここまでとりとめのない話をしてきましたが、
1つはっきりしていることがあります。
それは、全ての人が今しか生きられないということです。
今を精一杯生きているのならば、
いつ生まれていつ死ぬかなんて大した問題ではありません。
『無始無終』という言葉があります。
「始めも終わりもなく、限りなく続いていること」という意味だそうです。
この意味はそのまま『今』とも取れると思います。
『今』=『無始無終』。
今に集中して生きていたいと思います。