社会福祉士と精神障害福祉士を分けてしまったことの功罪(主に罪)が記されているが、これは制度設計段階のパワーバランスだけでなく、ソーシャルワーカーひとり一人の自覚の問題とも言及されている。「私が遠目で見る限り、ソーシャルワーカーの分断化・断片化は著しい。そしてきわめて深刻なことに、その断片化されたソーシャルワーカーのなかで、医療ソーシャルワーカーが医療のことしかわからないとか、スクール・ソーシャルワーカーが子どものことしか知らないとか、コミュニティ・ソーシャルワーカーが地域のことしか知らないという訳のわからない事態が普通に起きている。それがソーシャルワーカーだと言うのなら、そのような職種はいらないと思う。人間の生活は健康や介護だけでは成り立たない。コミュニティのありかたや子どもの生活ひとつをとっても、それらは単体で成り立つようなものでは絶対にない。」と言い切る著者の一人(加藤忠相)のあおいけあでの実践報告も興味深い。今自分が行っている支援は一体なんなんだろうかと思うこともあるが、やはりスペシャリストよりもジェネラリスト、知識や経験以上に自分の視座を自覚しておくことが大切だ。ソーシャルワーカーの力を必要としている人達はもっと「身近」にいるはず。

本著ではラスキンのアーツアンドクラフト運動に触れられている。最近、落合陽一氏が民芸について語っている。「この最後の物にも」は未だ読めずに本棚に並んでいる。

 

via らいふすてーじ
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