●機械的
フランスの建築家、ル・コルビュジェ(1887~1965年)は1923年に著書「建築をめざして」で「住宅は住むための機械である」といい、船舶は水に浮かび進む機能、自動車は道を走る機能、飛行機は空を飛ぶ機能を備えているように、住宅は住む機能が備わった装置として計画すべきだと発言しています。
当時欧米で流行していたのは新古典主義建築の美意識で、そこでは歴史的な価値基準として確立された古代ギリシャ・ローマを起源とする古典建築を安直に模倣した様式美・装飾美が蔓延し、それらはパリのエコール・デ・ボザール等、既存の権威ある建築教育機関と結び付いていました。
新古典主義建築は、18世紀後半に市民革命運動を背景にフランスで登場し、イギリスやドイツへ伝播、民主制の起源とされる古代ギリシャ・ローマの建築を理想とし、そこへ回帰した様式です。
これを契機に、建築では歴史性(ゴシック・ルネサンス・バロック等)・地域性(エジプト・インド・中国等)のある様式・装飾が乱用されるようになりました。
しかし、コルビュジェらは、交通手段・情報通信等の科学技術が発達し、一般庶民が社会の主流になれば、時代の変化とともに様式・装飾はやがて消費され、主に一般庶民のための新施設を建築する際には本来の目的・用途があり、それへの適合が必須なので、建築の本質は機能だと主張しました。
そうなると今後は一般庶民の住宅も、人間のための他の装置・道具と同様、工業化・規格化・標準化するとともに(量産家屋)、安全・快適に生活できる機能美を追求することになり、建築もこれまでは立面の様式・装飾が重視されていたのが、これからは平面の幾何学が主題になると予測しています。
近代建築の価値基準が様式・装飾から機能へ転換したのは、これまで身分・地位・家柄等が固定化した階級社会で、それが人生を左右していたのが、これからは個人に平等の権利と自由な言動が保障され、能力(実力)しだいへと変容したのも影響し、外見(様式・装飾)より中身(機能)が大事になります。
大勢の一般庶民のために工業化・規格化・標準化されると、住宅やその部材はライン方式の大量生産となりますが、コルビュジェは一般庶民がこれまでと異なる新しい部材を製造したり、量産住宅を構想・建設し、そこで生活することを許容するだけの精神状態を作り出さなければいけないと力説しています。
こうして、コルビュジェは伝統的な石・レンガによる組積造から脱却し、1914年にプレファブ化した鉄筋コンクリート造による、床版(スラブ)・柱・階段のみが基本構成のドミノシステムを考案、建築も船舶・自動車・飛行機と同様、場所性(地域性・歴史性)とは決別することになりました。
それをもとに、1920年にはフランスの大衆車になぞらえた郊外型のシトロアン住宅を構想し、ペサックの集合住宅(1925年)・ヴァイセンホーフ・ジードルンクの2棟の住宅(1927年)等に結実しています。
また、コルビュジェは1926年にピロティ・屋上庭園・自由な平面・自由な立面・水平連続窓を近代建築の5原則とし、それをサヴォア邸(1929-31年)等の設計で体現しました。
さらに、コルビュジェは1948年に人体と数学(黄金比)から導き出した寸法(フィボナッチ数列による)を体系化し(モデュロール)、それを共通の尺度にしてユニテ・ダビタシオン・マルセイユ(1946-52年)等を設計することで、機能美・視覚美の根拠にしようとしました。
モデュロールは、一見複雑で多様な表現にみえる、コルビュジェ晩年のロンシャン教会(1950-55年)の多様な窓、ラ・トゥーレット修道院(1953-59年)の日射調整装置(ブリーズ・ソレイユ)の形状や配置にも応用されています。
このように、コルビュジェはほぼ一貫して機能美を追求してきましたが、その姿勢は欧米の建築家の先達の影響のうえに成り立っています。
アメリカの建築家、ルイス・サリヴァン(1856~1924年)は「形態は機能に従う」といい、1871年のシカゴ大火後から鉄骨ラーメン構造によるエレベーター付の高層ビルを量産し、そこではファサードを何層かごとにまとめ、それぞれが少し違うデザインにすることで、垂直性を強調させました。
1893年のシカゴ万博に参加した際には、周囲の建築家達が古典様式による調和美を踏襲するなか、用途や素材をいかした独自の様式・装飾に挑戦しています。
これらのサリヴァンの言動は、設計パートナーである年上のダンクマー・アドラー(1844~1900年)の影響で、アドラーは構造・施工面を担当しており、かれが技術の発展に貢献したからこそ、サリヴァンの名言が生み出されました。
オーストリアの建築家、オットー・ワグナー(1841~1918年)は1895年に著書「近代建築」で「芸術は必要にのみしたがう」といい、目的の厳密な把握・材料の適切な選択・単純で経済的な構造を近代建築の3原則とし、それらから自然に成立する形態を生み出すべきだと発言しました。
ワグナーも、古代ギリシャ・ローマを起源とする古典建築の様式・装飾を安直に模倣しても、不調和・違和感となるだけなので、時代の変化とともに建築も変化しなければならないと主張し、重厚感のない自由な表層の内外観を創り出しています。
ワグナーが当時流行していたアール・ヌーヴォーの影響から、植物模様(マジョリカ・ハウス/1899年)や、スチールによる大きなガラスでの明るい採光(ウィーン郵便貯金局/1906-12年)を取り入れたのは、時代の要請でしたが、まだ近代的な無装飾にまで発展しておらず、過渡期だったからです。
そののち、装飾の排除をはじめて意図したのはオーストリアの建築家、アドルフ・ロース(1870~1933年)で、かれは1908年に著書「装飾と罪悪」で「装飾は罪悪である」といい、古典建築は不変の尺度ですが、当時から社会が変化しているので、装飾だけ模倣しても人々に受け入れられないと主張しました。
一般庶民が大半の近代社会では、高級な旧様式を安価に真似しても偽物になるだけなので、装飾は資材の浪費、工費の無駄で罪悪と揶揄しており、そのような商品化された装飾は短命で消費され、それより予算相応で形状・材質や丈夫さ等が魅力的な、本物の新様式を発見すべきだといっています。
ロースは一般庶民の限られた予算を無駄なく使うには、外部空間をあえて切り捨てる一方、内部空間をできるだけ節約することが大切だと判断、部屋割を平面・断面の両方を等価に検討し、各部屋間のつながりを立体的に構成する手法を生み出しました(ラウムプラン)。
ミュラー邸(1930年)はラウムプランの理論を実践した好例で、外部ではあえて単純でそっけない表情にする一方、内部では高い天井高がよい部屋と、低い天井高でよい部屋を、微妙な段差で組み合わせ、部屋どうしを開口や階段でつないでいます。
コルビュジェによる機能美は、船舶・自動車・飛行機を意識していましたが、それらはいずれも、移動が主要目的のため、機能が比較的明確で一義的となり、工業の発達とともに高速化と快適性が追求されていった一方、住む機能は曖昧で多義的といえます。
「住宅は住むための機械である」はあまりにも有名になってしまいましたが、かれは住宅の目的は2つあり、著書「エスプリ・ヌーヴォー」では以下のように説明しています。
目的の1つ目は、安全・快適に生活できるように機能を満足させることで、それは部品を組み立ててできる機械のように定型化・定式化でき、それを「親切で行き届いた機械」と表現、住宅を芸術からいったん切り離し、これは技術者(計算者)の仕事としました。
目的の2つ目は、人々を感動させることで、そこでは物事を考える場としての美しさが必要で、住宅を芸術のなかに取り込み、これは芸術家(建築家)の仕事としており、ここでは機械を高度化させ、人々が感動させるような精密機械をイメージしていたのではないでしょうか。
ロンシャン教会やサン・ピエール教会(1960-2006年)の礼拝堂は、住宅と対極にあり、単純な箱型だと機械的で味気ないので、自然と一体化させようと、大地に密着させ、自然の曲線を多用し、人々の感情を喚起しようとしているようです。
コルビュジェは建築では従来の古典的な様式・装飾を批判する一方、都市ではヨーロッパの産業革命(18世紀半ば~)後には、労働者が劣悪な住環境で生活し、第一次世界大戦(1914~18年)後には、深刻な住宅難に直面していたので、太陽・空気・緑を確保した健康な生活の都市計画を提案しました。
労働者が貧困なのは、工場労働者が農村から都市へと大量に流入し、都市が急激に成長・スラム化したからで、ドイツの思想家で実業家、フリードリヒ・エンゲルス(1820~95年、カール・マルクスの友人で、のちに共著)の著書「イギリスにおける労働者階級の状態」(1845年)でも報告されています。
しかし、コルビュジェはエベネザー・ハワード(1850~1928年)が1898年に提案したような田園都市ではなく、パリの中心を全面改変する「プラン・ヴォアサン」(1925年)や理想像である「輝く都市」(1935年)等、中高層・超高層による都市計画を構想し、過密都市の問題解決を最重要視しています。
それらの都市計画では都市機能を住居・労働・余暇に3区分し、そのための諸施設を地区ごとに純化して振り分け(ゾーニング)、建築は直線・直角を基本にした幾何学で構成、それらを碁盤目状の道路網内に規則的に配置し、歩車分離の交通や緑化の公園(+運動場・菜園)等で結び付けました。
都市は急激に発展して過密化したうえ、環境汚染も悪化、このままだと生物が病んでやがて死ぬような危険があるので、今後も増加する自動車交通の渋滞を解消しつつ、高速での乗り入れを優先するため、都心での既存建築・街路等を取り壊し、幾何学と大量生産をもとに建て直すべきと提言しています。
都心では円滑な自動車交通のために平坦地とし(起伏があれば、道路の蛇行が不可避なので)、「曲線の街路はロバの道、直線の街路は人間の道」と、直線は知性、曲線は野性と対比させ、真っすぐな街路は仕事の街路、曲がった街路は休息の街路と、歩車分離の道路網と公園緑地の散策路を対比させました。
これらの巨大な都市計画は、大規模集中型の外科手術で、莫大な費用を捻出しなければいけませんが、コルビュジェは土地の高度利用で資産価値を大幅に上昇させ、外国人の居住や投資を前提にしていたようです。
ただ、大規模集中型はハイリスク・ハイリターンのため、現代中国の新興都市のように投機の対象となれば、経済悪化で大半が空室となり、廃墟化するおそれもあります。
ところで、コルビュジェが都市や建築のデザインで、自然の曲線をほとんど使用せず、直線・直交の幾何学にこだわったのは、以下の理由からです。
かれは1924年に著書「ユルバニスム」で、人間は知性で自然の外観から摂理・法則を読み取り、それをもとに定式化・体系化することで、宇宙(自然)と矛盾せず調和させ、例えば直線は重力の法則で垂直線、地平から水平線を描き上げられて直角が確定でき、直線・直角は不変な道具だといっています。
そして、混沌とした自然のなかで、人間が安全・快適に生存できる環境を創造するには、人間の存在と思考に調和しなければならず、そのため創造は人間の身体から遠ざかり、精神に近づくべきであり、それは純粋な幾何学をもとに秩序を形成することだと主張しました。
人間が安全・快適で自由自在になるためには、自然を克服する必要があり、そのためには自然の摂理・法則から導き出された秩序を形成すべきで、それは純粋な幾何学だと辿り着いており、一見すると自然環境とは対立・対峙します。
よって、建築は、ピロティで大地から切り離しつつ、屋上庭園で人工土地を創り出し、あえて自然と対比させています。
他方、都市は、住戸を細胞とみたり(「ユルバニスム」)、居住施設を肺、・労働施設(ビジネスセンター)を頭脳、余暇施設(文化センター)を心臓とみる(「輝く都市」)等、都市機能を生物や人体の構造に対比させています。
このようにみてくると、コルビュジェは人間が自然の一部で、人間のための機械(装置・道具)である建築・都市と生物が、自然の摂理・法則(幾何学)でつながっているとイメージしていたようです。
ちなみに、近代建築が世界各地で普及するようになると、単調で退屈な形態・空間が形成されるようになり、反対に形態・空間自体が美的であれば、機能を喚起・誘発すると主張されるようになりました。
アメリカの建築家、ルイス・カーン(1901~1974年)は「形態は機能を啓示する」、丹下健三(1913~2005年)は「美しきもののみ機能的である」、菊竹清訓(1928~2011年)は「空間は機能を捨てる」といい、それを魅力的な実作で表現しています。
かれらが追求した空間美・形態美は、前述したコルビュジェのいう住宅の目的の2つ目の、物事を考える場としての美しさといえるのではないでしょうか。
(つづく)