7月末、祖母が亡くなりました

 

7月に誕生日があり、そこまで頑張ろう!と皆が励ましていました

なんとか誕生日を迎えたその翌朝、息をひきとりました

 

最後に対面で会話したのは2024年2月で、

m病院に入院中、テレビ電話で話したのが最後でした

画面越しの私を見て、名前を呼んでくれました

 

 

生前、私が結婚する前から祖父祖母が望んでいたことがあります

「自分の葬儀には曾孫がちょろちょろして賑やかしてほしい」

「しんみりした葬式は嫌だ」

結婚もしてないのに言われたときはさすがにどうかと思いましたが

今こそ願いを叶えさせてあげられます

 

 

亡くなったのが木曜早朝だったのですが、

子供たちの保育園と主人の仕事は金曜までお休みにし、

急いで飛行機チケットを購入

復路は日曜にしました

子どもたちの相手をしながら

バタバタと必要なものをキャリーケースに詰め込み

羽田へと向かいました

 

お葬式に参列するのはほぼ身内の場合がほとんど

主人も同郷だし、夫婦の喪服一式は私の実家においてあります

子連れだと荷物が増えるからこの選択しておいて助かりました

 

通夜は金曜、告別式は土曜でした

 

声の出ない私は

親戚や知り合いから病気のことについて心配されます

そして、無理しないように、と

 

 

通夜の日はお昼から会場へ

祖母と対面しました

嚥下がうまくいかないため、点滴で栄養を補給していたらしいけど

血管がボロボロで抜けちゃう、と聞いていたように

腕には紫のあざがありました

 

控室で湯かんが行われました

母に感動するから絶対見てほしいと言われて

間に合うように会場へ来たけど

特にいうほどの感動はなかった

母が以前みたものとは違ったのかも

 

そこから通夜までの時間潰しが地獄でした

子どもたちは退屈しまくっていて昼寝できないし

外は暑いから連れ出せないし

 

 

18時から通夜でした

独特な雰囲気で息子も落ち着きがありません

お坊さんのお経を「うるさい」といったり;

 

私の膝の上に座らせているとき、祭壇のランプが

「ちかちかしてるね、電池がないのかなあ?」というので

私もしばらく見ていたのですが点滅する様子はなく

息子にだけ祖母が何かメッセージを送っていたのかもしれません

 

通夜が終わって20時頃?近くのファミレスで夜ご飯

もう普段なら寝かしつけしていますが頑張って起きて食べてくれました

帰り、子どもたちは車の中で眠り、着いても起きなかったので

そのまま布団へ寝かし、朝までおきませんでした

 

 

翌朝、11時から告別式

また1時間ほど子供たちに耐え忍んでもらう時間です

今日はおやつを食べさせながら臨みました

式場に響き渡る咀嚼音といったらなんとも・・・

これもにぎやかしのひとつになるだろうか

 

火葬場へ移動し、最期のお別れ

収骨までおひるごはんです

子ども連れ組は座敷を用意してくれました

 

てっきり収骨後は解散だと思っていたのですが

また式場へ戻り初七日をするとか?

バタバタと過ごしてきたこちらとしては疲労がたまってきていたので

収骨後は帰らせてもらいました

 

 

 

夜は実家から見える花火大会を

息子は花火見たことなかったのですが

「近づいてくる~!」「たかーく上にいくのが好き」

と、とっても喜んでいました

ただ、疲れMAXだったようですぐに眠りにつきました

 

 

そして翌日、また羽田へ向かう飛行機に乗って帰路に着いたのでした

 

ドタバタの弾丸帰省

おそらくこの影響で、のちのち大変なことになります