ブログ当番がやってきました!
売買仲介担当の菅です。
先日の9月12日(土)・・・
肌寒い一日となりました。
それもそのはず、なんと
北海道旭岳でうっすら雪化粧・・・
昨年より12日早く初冠雪が観測されました。
横浜も最高気温23℃
私は、恒例の現地販売会開催のため
午前中、屋外に居たのですが、寒くて少し震えるくらいでした。
気が付いたら秋の気配がやって来ました。
そう言えば、今年の夏は短かった気がします。
季節としては、一番良い気候なのですが
季節の変わり目は、体調を崩しやすいので、健康管理をバッチリやってくださいね。私も、決して若くは無いので
人一倍
自己の健康管理には、気を使ってます。
そんな私は、昭和29年3月4日生まれ・・・(以外に年取ってるぅ~の声は気にせずに・・)
私が生まれたのが戦後9年。今回は、昭和26年(私が生まれる3年前)に実際にあった事を書きます。
~フィリピン モンテンルパにあるニュー・ビリビット刑務所の出来事~
終戦後、戦勝国にとって、捕虜や一般市民に対する殺害、虐待行為を問われた
戦犯裁判が国内外で実施され、その中で最も過酷だったのがフィリピンだった。
容疑をかけられた日本人兵士たちは、証人として出廷したフィリピン人による
「こいつが犯人だ」という、指差し一つで、証言の信憑性を問われることなく
次々に死刑の判決を下されモンテンルパ刑務所に収監されてしまった。
その中には明らかに冤罪も多かったという。このフィリピン戦犯裁判は、
昭和22年8月1日に開始され昭和24年12月28日に終了。
そして、終戦から6年後(わたしが生まれる3年前)の昭和26年、
極秘裏に14名の日本人の一斉処刑が行われた。
裁判中にも3名処刑され合計17名。しかし、戦後復興に沸く日本では、
その事実に目を向けるものはいなかったそうです。
その中、戦犯者の減刑、釈放そして祖国日本への
移管の救出活動に大きな原動力となった人がいました。
まずは、当時高野山僧侶だった加賀尾秀忍・・・
彼は、連合軍最高司令官命により昭和24年10月30日に日本を出て、
教誨師としてモンテンルパにあるニュービリビット刑務所に6ヶ月間という
派遣期間を過ぎても心臓病の持病に苦しみながらも現地にとどまり、
同じ収容所内に寝起きし、囚人の残飯を食べながら、死刑囚の処刑に立会い、
戦犯者の減刑、祖国への移管にと献身的に尽くしました。
結局、戦犯とされた方々が全員の帰国が叶った昭和28年7月15日まで
現地に留まられた「モンテンルパの聖者」といわれた方です。
次は、植木信吉・・・
終戦時、海外に残留していた軍人、軍属、一般市民の引き揚げを
行う「復員局」で、フィリピンを担当。出世をかなぐり捨てて、モンテン
ルパ刑務所に死刑囚となった元日本兵たちの救出に自らのすべて
を捧げた。
最後に、渡辺はま子・・・
明治・大正・昭和を生きぬき、第1回紅白歌合戦のトリをつとめた国民的人気歌手。
戦時中、その人気を軍部に買われ、少佐待遇の従軍歌手として、戦地の兵士達を
歌で励まし続けた。
終戦から7年経過しても祖国に戻れず、敗戦のツケを負わされているモンテンルパ刑務所に
囚われている元日本兵の存在を知り、救出活動に乗り出した。
それは、昭和27年6月、当時鎌倉にあった、はま子の自宅に1通の封書が届いたことから始まる。
その封書の中には、楽譜と短い手紙が入っておりその楽譜の題名には「モンテンルパの夜」
作詞代田銀太郎、作曲伊東正康と書いてあった。二人はもちろん、死刑判決を受けた人物。
刑務所で収容されていた日本人111名の望郷の念を込めた曲なのであった。
封書を受け取ったはま子は、早速歌をビクターレコードに持ち込み、ほとんど修正無しで
吹き込まれた。題名には色を付けられ『あゝモンテンルパの夜は更けて』と名付けられ
ビクターレコード発表され大ヒットをした昭和27年12月この歌を携え、
はま子は当時国交のなかったフィリピンに単身乗り込んだ。
戦犯慰問の渡航を嘆願し続けて半年後の事だった。
日本人歌手として初めて、モンテンルパ刑務所を訪問。そして日本人戦犯の前で、
はま子のそれまでのヒット曲と最後に「あゝモンテンルパの夜は更けて」を披露した。
この曲を聴いた収容者は、死刑判決を受け刑が執行された戦犯たちの事を想い、
またある人は望郷の想いを胸にし、皆感極まって涙し、最後には全員で大合唱となった。
帰国後も、戦犯の釈放を訴え続けたそうです。
この3人をはじめ関係者の努力が、当時のフィリピン当局(当時のキリノ大統領)を動かし、
昭和28年(私が生まれるほんの少し前)に戦犯の帰国がはかられたそうです。
昭和20年の終戦・・・いったい何だったのでしょうか。
戦争を知らない私が生まれる少し前に、こんな悲しい出来事があったなんて・・・と想い書きました。
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